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駒東への国語 薄井ゆうじ ━青の時間━ 4

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 やがて冬になった。町は深い雪に閉ざされて、学校は冬休みに入った。僕は家族とともに正月を過ごしながら、こんな寒いなか、万里夫はあの小屋で何をしているのだろうと考えた。だが僕にも僕なりの正月の行事があって、冬休みのあいだは一度も水車小屋へは行かなかった。そうして冬休みが終わった。

 寒い朝だった。僕と妹は深い雪のなかを学校へ向かっていた。今日から三学期がはじまる。妹は小さな手袋をはめて首にはマフラーを巻いている。二人の吐く息は真っ白だった。ゆうべ降り積もった雪はいまはやんで、朝の光にきらきらと輝いている。

 雪原の一本道を黙々と歩いていたときだった。誰かが遠くで呼んでいるような気がして僕は足を止めた。だが雪の原が広がっているだけで人影は見えなかった。気のせいだろうか、そう思って歩き出そうとしたとき、すぐ背後から呼び止められた。

 「岩崎ミツル」

 出席簿を読み上げるみたいな、抑揚のない声だった。その高音の混じった声に聞き覚えがあった。万里夫の声にちがいなかった。

 「青木・・・・・・?どこにいるんだ」

 周囲を見まわした。妹も声がしたほうを見ている。だがその声は方角の定まらない音声で、どこから聞こえてきたのかよくわからない。周囲は畑で、いまはその上を厚い雪が覆っている。ひとが隠れる場所はない。細い樹木が雪のなかから数本顔を出しているが、そんな細い木の陰では、とてもひとが隠れることはできない。そう思いながらその木を見ていたとき、まるで木の幹がスリットになったみたいに、そこから空間の裂け目を押し割るようにして万里夫が出てきた。

 まるで白い雪景色のカーテンを切り裂くみたいにして彼の体が現れたのだった。

 僕は息を呑んだ。

 「驚いた?」万里夫はうっすらと微笑んでいる。「夏からずっと、このトリックを考えていたんだ。どうにか完成したみたいだ」

 妹が木に駆け寄って、その裏側を調べている。何も見つけられなかったのか、すごすごと戻ってきた。

 「いったいどうやって・・・・・・」

 「仕掛けは教えられない。すごく複雑なんだ」

 彼は満足そうに言った。彼のこんなに豊かな表情を見るのは、はじめてだった。気がつくと彼は両手に大きなボストンバッグをさげている。学校の鞄は持っていない。

 「どうした。学校へは行かないのか?」

 「さよならだ」彼は静かに言った。「手紙が来たんだ」

 彼は遠い町の名を言った。その町にこれから旅立つのだと言う。たぶんそこは、もう菜の花が咲きはじめているだろう。それくらい遠い町だった。

 「ほかの荷物は別便で送った。学校へも昨日、手続きに行った。きみだけには、さよならを言いたかった」

 寒いせいだろうか、僕は胸が締めつけられるみたいな、息苦しい感じにとらわれた。本当に彼は旅立つんだ。そう思うと、かるい怒りのようなものがこみ上げてきた。もっと親しくしておけばよかった。

問 「かるい怒りのようなものがこみ上げてきた」のは、なぜですか。

e:「もっと親しくしておけばよかった」また、出ましたね。常套”文句”

F:こういう”シーン”の定番”セリフ”って感じですかね・・・

e:連続しますね。

F:例えば

 「それに、ぼく、もうすぐ転校するし」

 わたしはゆっくりと首を回して彼を見た。

 「どこに?」

 「東京」

 「そうか」

 わたしはなんとなく道の端にしゃがみ込んだ。目の前を川が流れている。水量は少なく、乾いた土手には手を切りそうな薄の葉が揺れている。そんなものを眺めながらしばらく黙っていた。ーあの日のあなたがここにいる  松村栄子  ━001にやさしいゆりかご━ラストシーンーより

e:この”シーン”での「わたし」の心情?

F:「そんなものを眺めながらしばらく黙っていた」

e:という、ここにすべてが言い尽くされているって感じかな・・・?

F:情景描写

e:心象風景

F:細部の”読み取り”は

e:かなり高度だけど・・・”至言”?

F:さて、

 寒いせいだろうか、僕は胸が締めつけられるみたいな、息苦しい感じにとらわれた。本当に彼は旅立つんだ。そう思うと、かるい怒りのようなものがこみ上げてきた。もっと親しくしておけばよかった。

e:「息苦しい感じ」?

F:「本当に彼は旅立つんだ」

e:「そう思うと」

F:「かるい怒りのようなもの」

e:とは?

F:「きみだけには、さよならを言いたかった」

e:この”怒り”って、「万里夫」に対しての?

F:それも無きにしもあらず?

e:「もっと親しくしておけばよかった」とありますから・・・

F:自分自身に対して、と考えるのが・・・

e:「万里夫」は「僕」を”特別視”してますな。

F:”特別な存在”ですね。

e:一方、「僕」はそれほどまでの

F:”親密感”は持っていないですね。

e:つまり、「きみだけには」という

F:特別な好意

e:とびっきりの?

F:好意を寄せる「万里夫」に対して

e:それほどまでに「万里夫」に熱意をあげていない

F:強い”思い”を抱いていない「僕」

e:相手の自分に対する”思い”に比べて

F:自分の”思い”はそれほどでもない、と

e:”思い”の弱さ?

F:を感じさせられていると思いますよ。

e:いままで、そういう風に付き合ってきたという

F:「万里夫」に対する”接し方”

e:への”後悔”ね・・・

F:それが、

e:「もっと親しくしておけばよかった」

F:という感慨につながっていくと・・・

e:まさしく、「わたし」

F:「しばらく黙っていた」

e:「水車」をながめながら・・・

F:「僕」は???

e: とにかく”別れ”と”後悔”は

F: ”つきもの”ということで……

"青の時間 (ハルキ文庫) by  薄井 ゆうじ http://t.co/f79NKR4 世界中に名前をとどろかせている、マジシャン・ブルー。その正体は謎につつまれていて、素顔さえ見たものはいない。ブルーを日本に招聘するという、およそ不可能と思われる仕事を引き受けた僕が手を尽くし果て、途方に暮れていた時、なぜか、彼..."

薄井ゆうじ━青の時間━

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駒東への国語  僕の水車は止まってしまったのだった 薄井ゆうじ ━青の時間━ 完 エピローグ

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 それきり、僕の水車は止まってしまったのだった。ぼくはそれ以来、特に親しい友人をつくろうとしなかった。意識して誰かを避けようとしたわけではないが、ひとと歩調を合わせることが億劫になり、僕は本を読み、ひとりで過ごす時間が長くなった。いままで無意識に回っていた水車が、ぴたりと止まってしまったみたいな感覚だった。あの雪の日、僕の少年時代は終わったのだろう。

問 「僕の水車は止まってしまったのだった」とありますが、「水車」は「僕」にとって、いったい何だったのですか。

e:”僕”の「水車」は止まってしまった

F:”僕”の「少年時代」は終わった

e:「水車」=「少年時代」?

F:「水車」とは?

e:「少年時代」とは?

F:それぞれの

e:”共通項”を見つける?

F:「水車」は

e:”水”がなければ回らない

F:「少年時代」は

e:「流れていくことしか知らない」

F:「万里夫」は「水車」は必ず

e:いつか”止まる”

F:と予言していますね。

e:自力か

F:他力か

e:もちろん、自力で止めなければ・・・

 「このことを、忘れないでほしい。水車は、こうして回すんだということをね」

 「僕らはまだ、流れていくことしか知らない。そのうち流れを止めることも覚えなければ。そんな気がする。」

F:流れを作り「水車」を”自力”で回して

e:そして流れを”自力”で止めると

F:自然と「水車」は止まる。それが出来ない間は

e:「少年時代」

F:それが出来れば

e:「少年時代」を卒業?

F:大人になれず

e:子供っぽさを引きずっている間は

F:言葉を換えて言えば

e:”自立”できないうちはまだ

F:「少年時代」

e:「水車」が止まった時点で

F:「大人への道」を

e:”模索”する時が

F:始まった、と言えるんじゃないですか?

e:それに」比べると、何の疑問も持たずに日々を過ごしてきた

F:「水車」を回していた頃は

e:”空”回りしていた?

F:素直で、あどけない

e:大人になりきれない、

F:無邪気な「少年時代」が

e:「僕」にとっての「水車」だったというわけ?

F:流れは?

e:「青」

F:「水車」が回る

e:「時間」

F:「少年時代」

e:「青」の

F:「時間」

e:だったりして・・・?

「青の時間」は、「草も木も、動物も昆虫もすべてが眠ってしまうような深夜」を言う。青の時間は眠っているように見えて体内で細胞や器官が生き生きと活動をする「来るべき目覚めのために用意された烈しい時間」でもある

e:「水車」は

F:「青の時間」の”象徴”?

e:「少年時代」は

F:「青の時間」?

謎に包まれた世界的マジシャン・ブルー。哀しい真実が明らかになる時、彼は姿を消した。未来の可能性を描く、長篇ファンタジー

  担当編集者から一言 「文春エンターテインメント」シリーズ第二弾として登場するのは薄井ゆうじ氏です。SFでもミステリーでもない、ノン・ジャンルとでも言うべき独自のファンタジックな世界を描いてきた薄井氏は、昨年吉川英治文学新人賞を受賞して、その存在を大きくアピールしました。今回の『青の時間――Time Blue――』では、本名・年齢・国籍などすべてが謎に包まれた世界的マジシャン・プルーの悲しい真実が、彼の幼馴染みの主人公との交流を通して明らかになっていきます。生きていくとはどういうことかを問い、人格の多様性、未来の可能性を強く訴える力作です。

主人公の男性(岩崎満)は少年時代に手品の上手な不思議な少年青木万里夫に出会う。水車小屋、冬のカブトムシといった出来事だけを頭の片隅におきながら、岩崎は成長しフリーでプロモーターをしていた。

彼に、世界的なマジシャン・ブルーを日本に招聘するという仕事がやってくる。すべてが謎に包まれていたブルーへのコンタクトはなかなか成功しない。「ブルー」の好意からやっと連絡が取れ、ニューヨークへ向かう途中に妹の暮らすシカゴへと寄ると、妹がブルーの窓口となっていた会社で働いていることが判明。そして、窓口となる女性(沙菜江)や「ブルー」本人との出会いを果たす。そして、小倉という男にも出会う。彼はブルーのマジックの準備をすべて仕切る人間だった。

ブルーと小倉は正反対の性格をしていた。太陽の光やタバコの煙を嫌がり一つの部屋にこもってマジックを作りあげるブルー。浅黒い肌をしヘビースモーカー、そして常に誰かしらとコミュニケーションをしながらバリバリ仕事をこなし豪遊もする小倉。その2人の絶妙なコンビネーションが、世界的なマジシャンブルーを演出していた。

ブルーは日本へ向かうことを決める。日本での壮大なマジックが開催されることになった。

ブルーは、岩崎に会ったときに懐かしいね、と言う。「ブルー」と小倉は体格がほとんど同じで、小倉がサングラスをかけた顔は「ブルー」そっくりだった。「ブルー」と小倉が同一の場に姿を現すことはなく、彼らが会うときは常に2人だけだった。

「ブルー」は正体はいったい何者なのか。青木万里夫なのか。小倉なのか。

小倉に恋する岩崎の妹や、小倉を捨て「ブルー」を愛する沙菜江。そして青木万里夫を追いかける岩崎。それぞれの悩みや考えを抱えながら準備は進む。

ついに、10万人の観客全員を消すが、元に戻す方法は「ブルー」以外だれも知らないというマジックが決行される。

これを読んでもよくわからないだけだろうけれど、内容はこんなかんじ。

感想


初めて知ったのは10年以上も前、NHKFMの青春アドベンチャーというラジオドラマだった。幻想的な雰囲気をうまく演出したドラマだった。そこから原作であるこの本に手を出した。

今回たぶん4回目か5回目。

主題がなんなのか、わかるようでわからない。作品全体が醸し出す雰囲気が好きで時々読み返したいと思う本だ。


表題の「青の時間」は、「草も木も、動物も昆虫もすべてが眠ってしまうような深夜」を言う。青の時間は眠っているように見えて体内で細胞や器官が生き生きと活動をする「来るべき目覚めのために用意された烈しい時間」でもある。この作品では、その青の時間が、日本で執り行われるマジックのための壮大な準備期間であり、ブルー・小倉・青木万里夫という人間が次のステップへと進むための時間であることを示しながら進んでいく。


あらかじめ全ての答えを用意しておくことで、どういう答えを出してもほらここに正解があるよといって相手を驚かせるトリックが何度か登場し、人生も未来の可能性をあらかじめ色々考えておきその中から進む道を選ぶという似たような構造をとっているのではないか、といった比喩が用いられる。


そういうものか。と、何となく思いながらも、完全に納得できるようなものではない。

最終的に何かの解答にたどり着くかといえば、そうでもない。

なんとなく、雰囲気が好きだとしか言いようがないのだが、その雰囲気がぴったりと私の好みにはまったために何度も読みたいと思う本だ。ーObra de Sobra - algo interesante - 『青の時間』薄井ゆうじーより引用

プロフィール
筆名:薄井ゆうじ
本名:薄井雄二(ネット名:くじら鳥)
生年月日:昭和24年(1949年)1月1日
出身地:茨城県(県立土浦第一高等学校卒)
高校卒業後、日雇い生活。
その後、イラストレーター「たの・かえる」として週刊プレーボーイに五年、夕刊フジ紙に十六年間イラストを掲載。イラストルポやグラフ誌写真取材等を手掛け、広告及び編集プロダクション「株式会社イーハトーブ」を経営。現在は専業作家として文芸各誌に小説を多数連載。

NHK-FM 青春アドベンチャー 『青の時間』第1回~第5回(全10回) 原作:薄井ゆうじ 脚色:じんのひろあき <出演> 岩崎満=古澤徹、ブルー=橋本さとし、三島沙菜江=舵一星、岩崎奈奈=千紘あい、小倉貴史=近江...

NHK-FM 青春アドベンチャー
『青の時間』第1回~第5回(全10回)
原作:薄井ゆうじ
脚色:じんのひろあき
<出演>
岩崎満=古澤徹、ブルー=橋本さとし、三島沙菜江=舵一星、岩崎奈奈=千紘あい、小倉貴史=近江谷太朗、鴻池進=吉田鋼太郎、少年の満=舵一星、少女の奈奈=千紘あい、青木万里夫=あづみれいか
(1996年7月5日~7月26日放送)

薄井ゆうじ━青の時間━

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cherryblossom受験生諸君に贈る言葉━━cherryblossom合格、おめでとう!cherryblossom━━

1番行きたかった中学に見事合格できた君、また、残念だけど第1志望校は逃し、けれども第2志望校や第3志望校などにとにかく合格できた君、ともにおめでとうと言います。

なぜなら、君たちの努力や苦労が正当に評価され報われたのですから。

2年、3年、あるいはもっと長い人もいるかもしれないけれど、塾に通い続け、真剣に勉強を続けた結果として、それは誰にたいしても誇ってよいことです。

実にそれは、まったく自分一人の力しか頼れるもののない試験場の中で、長い勉強の成果を答案の形として十分表すことができた、ということなのですから。

もちろん、入試を終えた今、自分の勉強を振り返って、もっと早くから、もっと真剣に勉強しておけばよかったというような反省をしている人もいるでしょう。そのような反省も大切であり、今後の中学・高校の勉強に役立ててもらいたいことですが、ぜひ忘れないでほしいことが他に2つあります。

1つは、君たちが合格できたのは言うまでもなく自身の努力、自分の力ではありますが、君たちの受験勉強を支えてきたのは、お父さんやお母さん、家族のみんなの力だということです。単に生活やお金のことを言っているのではありません。

たとえば、10月から12月にかけての受験校の決定と最後の追い込みの時期や、1月に入っての本番の時期、君たちのお母さんやお父さんは不安や心配で眠れぬ夜を多分いくたびも過ごしていたのではないでしょうか。

そのようなことを忘れないでもらいたいのです。

もう1つは、入試で失敗した仲間もたくさんいるということです。

本番で頼れるのは本当の実力だけとはいいながらも、2年間、3年間の勉強の成果がたかだか50~60分の試験ではかられてしまう入試の実際からいって、運・不運というものも当然あるでしょう。

当日たまたま体調が悪かった、風邪を引いていた、などの事情で失敗した仲間を、どんな人もとがめたり笑ったりはできないはずです。

自分と同じような勉強してきた仲間や自分以上に努力してきた仲間が、おしくも本番で失敗しているのを君たちは見たり聞いたりしたでしょう。

その学校に入れなかった仲間の分までがんばり、これからの学校生活を大切にする気持ちがほしいと思います。

長い受験勉強と厳しい入試という経験の中で、君たちはいろいろなことを学んだでしょう。

第1志望校にすんなり合格した仲間よりも、あるいは、誰にも劣らぬ努力をしてきていながら2度、3度と苦渋をなめた仲間や公立中学へ行かざるをえなくなった仲間の方が、むしろ多くの貴重なことを学んだのではないかと思います。

そして、この経験を生かせるかどうかはこれからの君たちの生き方の問題です。

おごらず、ひるまず、研鑽を続けてほしいと私たちは願います。

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2年、3年、あるいはもっと長い人もいるかもしれないけれど、塾に通い続け、真剣に勉強を続けた結果として、それは誰にたいしても誇ってよいことです。

実にそれは、まったく自分一人の力しか頼れるもののない試験場の中で、長い勉強の成果を答案の形として十分表すことができた、ということなのですから。

もちろん、入試を終えた今、自分の勉強を振り返って、もっと早くから、もっと真剣に勉強しておけばよかったというような反省をしている人もいるでしょう。そのような反省も大切であり、今後の中学・高校の勉強に役立ててもらいたいことですが、ぜひ忘れないでほしいことが他に2つあります。

1つは、君たちが合格できたのは言うまでもなく自身の努力、自分の力ではありますが、君たちの受験勉強を支えてきたのは、お父さんやお母さん、家族のみんなの力だということです。単に生活やお金のことを言っているのではありません。

たとえば、10月から12月にかけての受験校の決定と最後の追い込みの時期や、1月に入っての本番の時期、君たちのお母さんやお父さんは不安や心配で眠れぬ夜を多分いくたびも過ごしていたのではないでしょうか。

そのようなことを忘れないでもらいたいのです。

もう1つは、入試で失敗した仲間もたくさんいるということです。

本番で頼れるのは本当の実力だけとはいいながらも、2年間、3年間の勉強の成果がたかだか50~60分の試験ではかられてしまう入試の実際からいって、運・不運というものも当然あるでしょう。

当日たまたま体調が悪かった、風邪を引いていた、などの事情で失敗した仲間を、どんな人もとがめたり笑ったりはできないはずです。

自分と同じような勉強してきた仲間や自分以上に努力してきた仲間が、おしくも本番で失敗しているのを君たちは見たり聞いたりしたでしょう。

その学校に入れなかった仲間の分までがんばり、これからの学校生活を大切にする気持ちがほしいと思います。

長い受験勉強と厳しい入試という経験の中で、君たちはいろいろなことを学んだでしょう。

第1志望校にすんなり合格した仲間よりも、あるいは、誰にも劣らぬ努力をしてきていながら2度、3度と苦渋をなめた仲間や公立中学へ行かざるをえなくなった仲間の方が、むしろ多くの貴重なことを学んだのではないかと思います。

そして、この経験を生かせるかどうかはこれからの君たちの生き方の問題です。

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開成への国語  おい、靖ちゃん、あれ渡したかい? 伊藤整 ━少年━ 1

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伊藤整━少年━

本

≪ この小説は、戦前の小学校を舞台にしています。当時は、小学校までが義務教育で、中学校へは入学試験を受けて進学しなければなりませんでした。なお、小説に登場する田崎先生という女性は、房太郎の家に下宿しています。≫

 主人公の「私(靖)」は、小学校五年生です。一歳年上の友達・稲木房太郎とは、一緒に中学校へ進級するための勉強を、田崎先生に見てもらっている仲です。

「本当に靖ちゃん、そう思うかい?」彼は不安げに聞くのであった。私が保証す

ればまちがいないというように。すると私はできる子としての自信がうかんで来て、もう一度房太郎の身体や顔をながめまわすようにしてやった。危ないもんだなあ、というような顔で。しかし私は口先だけで、「だいじょうぶだとも、算術の本の問題はたいていできるんだろう」

「うん、だけど・・・・・・」といって、房太郎は目をふせた。彼がすこししょげた様子を見せると、私はこの年上の友達に対する自分の優越感を味わうのであった。彼は細い脛をぶらぶらさせ、下駄を遠くの方へぽんとほうった。下駄は前の日に降った雨でできた水たまりに落ちて、裏がえしにういた。

 女の子たちが四、五人、向こうの生徒出入口から出て来た。掃除当番ででもあったのだろう。私の組の子たちであった。その中に西川京子がいるのがすぐ分かった。京子はこのごろとなりの町からこして来た駅長のむすめで、黒い袴をはいていた。その黒い袴は、何となく都会ふうで、青白い、目じりのややつりあがったその顔によく似合っていた。

「あの駅長の子は何て言うんだい?」と房太郎は言った。

京子のことだった。

「あれか、西川京子だよ」

「できるかい?」

「うん」

e:ビートたけしの『少年』じゃないですよね。

F:『麻布』にでて、5年後に『筑駒』ですね。

e:同じ場面でしょ?

F:『筑駒』は場面の後半部分ですね。「おい、靖ちゃん、あれ渡したかい?」か

e:「何となく新しい張り合いもその中にあった。」までですか。

F:その手前の「この日からあと、私は奇妙な、二つのちがった心の動きを本当ら

しく進めて行かねばならないという作為の世界に入って行った。」までですね。分

量からすれば『麻布』の四分の一くらいですか。

e:『麻布』の『過去問』をやってるお子さんは”してやったり”でしょう。

F:全体のストーリーが解っていますからね。

e:共通している問いは?

村に暮らす靖は、親類である問題児・房太郎といっしょに、 房太郎の家に下宿している田崎先生に勉強を教わっている。 若く美しい田崎先生にあこがれる靖だが、 房太郎がかぎつけてきた田崎先生の 「女」の部分に、恐れを感じながらも 好奇心を押さえる. ー伊藤整 『少年』 - 金木犀、薔薇、白木蓮より引用

人物

20世紀日本文学の重要な小説家文芸評論家の一人。昭和初期にジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。『ユリシーズ』を翻訳する。北海道時代には詩作を中心に行い処女詩集『雪明りの路』で注目されるものの、上京後は詩作を離れて小説評論に重心を移す。戦前・戦中は詩壇・文壇でのみ知られた存在だったが、戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。

私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行った。自伝的小説として『鳴海仙吉』『若い詩人の肖像』などがある。評論では『日本文壇史』『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」などがある。『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。また評論家としては、谷崎潤一郎の支持者だった。ー伊藤整 - Wikipediaより引用

伊藤整━少年━

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伊藤整━少年━

本

さあっと秋風がふいて、校門の前のポプラの並木は、一せいにさらさらと鳴り、中ごろから上が弓のように曲がった。帽子が水たまりに飛ぶといけないので、私はひさしをうんと引き下げた。女の子たちの髪が風にふかれて、そそけだった。京子の黒い袴は、短めだったので、風にふかれると白い脛が膝のあたりまで見えた。何だか、私は、風がふくとさびしく、不安になるのであった。だれも私をかばってくれたり、仲よくしてくれたりする本当の友達は一人もいないような気がするのであった。京子は、同じ組の富永福子ほどかわいい子ではなかった。でも様子全体が都会ふうで、きびきびしている。どこか男の子のようなところがあった。しかしどの女の子も、私と仲よくしてくれそうもなかった。そして、私といまいっしょにいる房太郎はうそつきで意地悪だ。私は風のふく中で自分が全くひとりぼっちでさみしいと思った。

 問 「私といまいっしょにいる房太郎はうそつきで意地悪だ」とありますが、「私」はなぜそのような房太郎とつきあうのですか。大きな理由を二つ答えなさい。

「おい、その下駄を拾ってくれよ」と房太郎が通りかかった女の子たちにいった。私は帽子を目深にかぶったまま、そしらぬふうをしていた。私はポプラの並木が風にゆれては空に向かって手をふりまわすようにしながらまた起きかえるのを見ていた。葉が白く裏がえった。そういうとき、私は自分が父も母もない孤児のような気持ちになるのであった。でなければ、わあっといって両手をひろげて風上に向かって走り出したいような感じもした。

 問 「帽子を目深にかぶったまま、そしらぬふうをしていた」とありますが、なぜ「私」はそうしているのですか。説明しなさい。

「おい、その下駄を拾ってくれよ」と房太郎はまた声をかけた。

 漁師のむすめで、一番身体の大きい竹島ハナが下くちびるをつき出して赤んべえ、というような顔をした。外の女の子はうつむいてはずかしそうに急ぎ足で、私たちの前を通りぬけようとした。「だれか取ってくれないかなあ」と房太郎がまた言った。

 すると、水たまりに一番近いところを、頭を下げもせず、急ぎもしないで歩いていた西川京子が、身体をかがめて、下駄の歯を二本の指でひょいとつまみあげ、私たちの腰かけている柵まで持って来て、「はい下駄」とそれを房太郎の鼻先へつき出した。房太郎はだまってそれを受けとった。房太郎は急に赤い顔をした。

 どうもありがとうということばを使う習慣が私たちにはほとんど無かった。私も房太郎の家でおかしをもらうときなどだまって受け、食べてしまってから、ごちそうさまと言うのであった。京子のこういうしかたはこの村のものではなかった。村の女の子たちは、房太郎が彼女らをからかっているのだということを知っていた。京子がそれを、たのまれたことだと思って下駄を取ってくれたのは、房太郎をまごつかせた。私もびっくりさせた。

京子はまっすぐな目つきで、房太郎を見、それから私の方を見て、自分が少し変なことをしたと気がついたらしかった。京子は急に赤い顔になり、友達のあとを追って走った。他の女の子たちは、校門のところに集まって、おぼれかけた人が岸に着くのを見るような様子で京子を待っていた。房太郎は、下駄を受けとったものの鼻緒がぬれているので、それを柵の上に、歯をまたがせて、そっと置いた。私たちは二人とも具合が悪くって、しばらくだまっていた。

 問 「房太郎は急に赤い顔をした」、「京子は急に赤い顔になり」とありますが、二人が「赤い顔」をしたのはなぜですか。それぞれ説明しなさい。

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私が村で育った子なのに、漁夫でも農家でもない軍人あがりの収入役の子という

ことで私をのけものにしがちであった。私が房太郎のような同級でもない妙な子と

遊ぶようになったのも、そういう孤独感から来ているのであった。

私は京子に同情した。

「おい、靖ちゃん、これを西川京子にやってくれよ」といつもと同じ青いとがった

顔で言い、てのひらに入るような小さな封筒をにぎらせた。「うん」と私はふとこ

ろへしまったが、学校のいる間じゅう、それを開いて読みたいという誘惑を感じていた。西川京子に渡してやるものか、と私は思った。それは恐ろしいことでもあり、憎らしいことでもあった。

問 「それは恐ろしいことでもあり、憎らしいことでもあった」とありますが、「それ」とはどういうことを指していますか。

「おい、靖ちゃん、あれ渡したかい?」と廊下で立ちどまって房太郎が言った。

「うん」私は宙に眼をやって答えた。

問 「私は宙に眼をやって答えた」とありますが、このときの「私」の気持ちを答えなさい。

「どこで?」

「橋のとこで」

「何とか言ったかい?」

彼の白い目が私の顔をなでまわすように見た。私はぐっとつまった。

「いいや、あんなやつ。ちょっとからかってやっただけなんだからな」と房太郎

は不安をおさえるように言った。

「うん」と言って、私も同じように、西川京子に手紙を渡してしまった感じを自

分の内側に持ちつづけていた。

この日からあと、私は奇妙な、二つのちがった心の動きを本当らしく進めて行か

ねばならないという作為の世界に入って行った。

もっとはらはらする、危なっかしいことで、おそろしいが、何となく新しい張り

合いもその中にあった。

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京子は田崎先生と町にいた時からの知り合いであったらしく、休み時間に、看護当番で田崎先生が運動場に出てくると、よくそばに立って話していた。京子は時々同級の女の子たちと遊んでいることがあった。しかしその様子はまだこの村の女の子たちとしっくりしていなかった。女の子たちは京子をのけて、ちたっと仲間だけで目を見交わしたりしていることがあった。村の女の子たちが町の子をのけものあつかいにすることを私はよく知っていた。男の子たちですら、漁場の子と農家の子が別なグループを作っていた。私が村で育った子なのに、漁夫でも農家でもない軍人あがりの収入役の子だということで私をのけものにしがちであった。私が房太郎のような同級でもない妙な子と遊ぶようになったのも、そういう孤独感から来ているのであった。

 私は京子に同情した。京子は勉強は実によくできて、伏見先生は、私と岩田六郎と京子とに、難しい問題を選んで授業時間中でも別にやらせたりした。

問 「私は京子に同情した」とありますが、なぜですか。説明しなさい。

 「来年上級学校を受験するものは、今からその気になって、一題でも二題でも特別問題をしなければいけない」と先生はみんなに言った。

 入学試験では都会の生徒に負けるのが常であったから、教師も生徒も真剣であった。算術の特別問題をもらうと、京子はやりがいがあるというふうに、一刻も早くという調子で問題にとりかかるのであった。女生徒の席の一番ん後ろのすみっこに彼女はいた。私と岩田は男生徒の席の一番後ろにいるので、それが自然と競争のようになった。もうできたというころになると京子はちらっと顔をあげて、すばやく私と岩田の方を見るのであった。私も、海にもぐるような息苦しい気持ちでその問題にとりかかって、もう一息というところまで来ると岩田の方を見、それから京子の方を見るのであった。岩田は特別に頭のいい子で、たいてい一番先にしあげて、そしらぬ顔をしているが、その次が私と京子との競争であった。一種の敵意のある、それでいて親しみのある目つきを、私は京子と交わすのであった。それでいて、外のときは私は京子と話をしたこともなかった。

問 「敵意のある、それでいて親しみのある目つき」とありますが、それはどういう気持ちから生まれるものですか。説明しなさい。

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 北の国では秋の早いうちに突然あられが降ったり、冷たい雨が障子をぬらしたりした。目に見えて日が短くなった。房太郎の家では炉に炭火をおこした。そのころから房太郎は前より勉強に熱中しはじめた。房太郎は前と変わって何だかまじめになった。そして彼がまじめになると、私は彼との交友がおもしろくなくなるのだった。房太郎が女の子にいたずらをしたり、先生たちの内緒ごとをあばいたり、店の金を持ち出して、おばさんのくれるせんべいや旭豆でない、本当に甘いまんじゅうやようかんの買い食いをして私を仲間に入れるのでなければ、私はつまらなかった。私は自分ではできないことを、彼が、彼の責任でやる、そして得をするのは私だ、という形の中に、いつの間にか私はおぼれていたのだった。

 風はしだいに寒くなり、村の周囲の山々の樹が紅葉しはじめたころ、ある朝房太郎は登校の途中の私を自家の横の戸袋のかげへ呼びこんで

 「おい、靖ちゃん、これを西川京子にやってくれよ」

といつもと同じ青いとがった顔で言い、てのひらに入るような小さな封筒をにぎらせた。

 「うん」

と私は言ってふとこへしまったが、学校にいる間じゅう、それを開いて読みたいという誘惑を感じていた。西川京子に渡してやるものか、と私は思った。それはおそろしいことでもあり、にくらしいことでもあった。しかも私は読むことをおそれた。家へ帰る途中、私はそれをちりぢりに引きさいて、橋の上から川の上へ投げた。紙は一度かたまって落ちて行ったが、橋脚のところでぱっと散り、川上の方へ遠くふき飛ばされるのもあり、やなぎの木の枝の中へふき上げられるのもあった。

問 「それはおそろしいことでもあり、にくらしいことでもあった」とありますが、なぜですか。

 私はそのとき一刻も早くそうしないではいられぬような気持ちがしたのだ。その手紙を読まずに破いたことは私の心にやましさは覚えさせなかった。でも私は興奮していた。これまでに知らなかった一種の強烈な不安の感じだった。紙が風にふかれて川の面に散って行ったのを見ると、私はそれをだれかに見られはしなかったかと考え、おそろしくなった。私は橋から人家のある方へ歩きながら、あたりに気を配った。川のそばには、漁に行ったり小作をしたりする人たちに小さい侘しい家が並んでいた。軒下で縄の尻尾が風に吹かれて、はためいていた。鱗形に油を塗った紙障子の戸には煤けた小さな障子窓などが見えたが、誰も人の姿はなかった。私は胸のあたりが焼けるようになっているのを感じた。私は家の方へ急いで帰った。畑の畔に落葉樹が四、五本立っていて、横にのびた枝は小きざみに風にゆすぶられていた。私は家に入り、自分の小さな机の前にすわった、すると自分がこうしていられない罪人になったような気がした。房太郎にも言えないし、母にも言えないこの秘密は私の胸をおしつけた。弟や妹たちが縁側で紙を細長くさいては飛ばしていたが、その弟や妹たちにも自分の顔を見られるのがいやであった。晩御飯のとき、父は母に、田崎先生が学校をやめると学校委員の山田が言っていた、と話していた。

問 「私は胸のあたりが焼けるようになっているのを感じた」とありますが、これはどういうことですか。

問 「その弟や妹たちにも自分の顔を見られるのがいやであった」とありますが、なぜですか。

問 「畑の畔に落葉樹が四、五本立っていて、横にのびた枝は小きざみに風にゆすぶられていた」までは風の描写がよく出てきましたが、ここから後の部分ではほとんど出てきません。それはなぜだと考えられますか。

1905~1969 詩人、小説家、評論家。

北海道生まれ。本名は整(ひとし)。東京商大中退。詩から小説に転じ、昭和初期に「新心理主義」を唱え「得能物語」などを書く。戦後は創作と文学理論の統一をめざし活躍。

著書に小説「鳴海仙吉」「氾濫」、評論日本文壇史」など。

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 「稲木でも困るでしょう。せっかく中学の試験を通そうと思って房ちゃんの勉強を見てもらっているのだからね」と母が言った。

 「うん、まあ」<と父は、私の前ではあまりその話に触れたくない様子であった。/p>

 「うちでも、靖が厄介になって来たから、何かお礼をあげないといけませんね」と母が言ったが、父はうなずくだけであった。

 私は食事がすむといつものように本と帳面を包んで房太郎の家へ行った。風は落ちついて静かな晩になっていた。いつもと同じに食卓の両側に私と房太郎がすわり、田崎先生が真ん中にいて勉強をはじめた。その日房太郎の父は留守で、小母さんだけが針仕事を持って炉端にいた。先生は白い美しい指で私の帳面に算術の問題をいくつか書いてあたえ、あとは房太郎の方にかかっていた。房太郎は、その晩私の方をほとんど見なかった。私は、計算し、一つずつ答えを書き出して行ったが、これまでとちがって、私たちの勉強ということが、小さな意味しか持っていないような気持ちがするのであった。房太郎も私も大きな秘密を持っていて、そして私の方は、その房太郎をも裏切っているのだった。しかし私は、自分のしたことが正しいと考えて自分を落ちつかせようとした。房太郎のように女の生徒に手紙をやることは、いけないことにちがいないのだから。

問 「これまでとちがって、私たちの勉強ということが、小さな意味しか持っていないような気持ちがする」とありますが、なぜですか。説明しなさい。

問 「自分のしたことが正しいと考えて自分を落ちつかせようとした」とありますが、このときの「靖」の気持ちを答えなさい。

 だが、子供の世界には、子供の世界での大人の真似があった。あの子はあの子が好きだ、とか、あの子はあの子は何々だ、とかいうことは、その村の子供たちの間では、むしろ大人よりもむき出しに、残酷に、そして正確に言い伝えられたり、面とむかって喋られたりしていた。どの子がどの子に手紙をやったなどということもよく子供の世界の噂になった。そして私ははじめて、身近にその実際のことにぶつかり、途方に暮れて破いてしまったのだった。

問 「その実際のこと」とありますが、どのようなことですか。

 勉強がすんでおかしが出てからも、その晩は田崎先生は二階の部屋へ上がって行かず、炉端でおばさんと話しこんでいた。私は本を包んで帰るしたくをした。いつもおかしのあとで、房太郎の部屋でしばらく遊ぶのであったが、その日は私は早く帰りたいと思った。すると房太郎がちらと私の方を見た。頬のとがった青い顔で、白目が目立つ彼の目は、私の様子をじっと見つめていた。彼は不安そうに疑わしげに私をにらんだ。

 「おや、靖ちゃん。今夜は早いんだね。もう帰るの?」とおばさんが言い、膝の針仕事を下ろして立ち上がった。

 私は房太郎に感づかれたような気がした。私はそこへ本の包みをおき、帰るのをやめて、だまっていつものように房太郎の後について彼の室に行った。

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 「おい、靖ちゃん、あれ渡したかい?」廊下で立ちどまって房太郎が言った。

 「うん」私は宙に目をやって答えた。

問 「私は宙に目をやって答えた」とありますが、このときの「靖」の気持ちを答えなさい。

 「どこで?」

 「橋のとこで」

 「何とか言ったかい?」

 彼の白い目が私の顔をなでまわすように見た。私は、ぐっとつまった。そこから房太郎の部屋へ入るまでに返事を考えなければならなかった。京子はどうするだろう。そういう時に。私が帽子をかぶってあの橋のそばにいる。京子が学校の方からやって来る。すると私が呼びとめる。私は何と言って呼びとめるだろう?彼女が町の学校から移って来てからまだ半年ほどにしかなっていない。本当は私はまだ京子に話しかけたことがないのだった。たった一度、校庭掃除の割りあてがあったとき、副級長の私は組の者の名を伏見先生のくれた紙のとおり呼び上げたことがあった。「西川」というと、京子は「はいっ」と、この村のどの女生徒ともちがうはっきりした返事をして、私の方をまっすぐに見た。たいてい女の生徒は「はい」と口の中で小さな声で言うのだが、京子はちがっていた。

問 「そこから・・・・・・返事を考えなければならなかった」とありますが、 〔Ⅰ〕 だれが、だれに答える「返事」ですか。 〔Ⅱ〕 「返事」の内容をどのようなものですか。五字以内で答えなさい。

 いま房太郎の目の前で、私は懸命に頭を働かせた。私がもし房太郎の手紙を渡したら何と言うだろう。そんな取りつぎをする副級長の私を彼女がだまってにらみつけるような気がした。そしてその手紙を持ったまま、もじもじしている私を残して、さっと行ってしまうにちがいない。

問 「懸命に頭を働かせた」とありますが、どのようなことを考えたのですか。答えなさい。

問 「そんな取りつぎをする副級長の私を彼女がだまってにらみつけるような気がした」とありますが、それは「京子」のことをどう思っているからですか。

 そのうちに、私と房太郎とは部屋に入ってすわってしまった。私は追いつめられて飛びこむように、手紙をさいた自分と、京子の気質と思われるものとを結びつけた。

問 「追いつめられて飛びこむように」は、どのような様子をたとえたものですか。

問 「京子の気質と思われるもの」とありますが、「私」はそれをどのようなものだと思ったと考えられますか。答えなさい。

 「おれね、西川が来たから手紙を渡したんだよ。そしてこっちの方へ歩いて来たんだ。角のところで見たら、西川は、手紙を小さくさいて川の上へ投げていたよ」

 私はそう言って、房太郎の顔をちらっと見た。自分の眼が熱く燃えているうような気がした。すると、房太郎の顔は急にいっそう青ざめて、ほっそりとなったように見えた。

 「ふーん」と彼は鼻であしらうような返事をしたが、今度はうつむいて考える様子になった。

問 「彼は鼻であしらうような返事をしたが、今度はうつむいて考える様子になった」とありますが、これは、「房太郎」のどのような心の動きを表していますか。五十字以内で説明しなさい。

 彼は中学の入学試験の算術の種本だと言っていたねずみ色の表紙の本をぐるぐる巻くようにした。それはやわらかい表紙であったが、本がかなり厚いものであったので、思うように巻くことができず、ページがばらばらとはじけた。それでも彼は考えこみながら、それを巻こうとするのであった。来年彼が中学に入れれば、その本を、その次の年に受験する私に貸してくれると彼は言っていた。中学の先生の種本だということで、私はその本を借りるためには、どんなことでも彼の言うとおりになっていようと覚悟していた。それが分かっているせいか、彼は何かというと私の目の前でその本を見せびらかすのだ。でもいま彼の頭はそれどころでなく、混乱してしまっていることが分かった。京子が手紙のことを先生や両親にいいつけはしないかと彼は心配になってきたのだ。房太郎の混乱が私にすぐ感染した。私も彼と同罪だという考えが、ちらと心にうかんだ。だが、渡さなかったんだ。手紙は渡さなかったんだ。私が房太郎のように手紙の露顕するのを心配するのはいらないことであった。それでも、彼といっしょになって、あの手紙のことで、先生や親たちに叱られそうな怖れを感じなければならないような気持ちが去らなかった。

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開成への国語  いやな夢を見た  伊藤整 ━少年━ 完

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 「おれね、西川が来たから手紙を渡したんだよ。そしてこっちの方へ歩いて来たんだ。角のところで見たら、西川は、手紙を小さくさいて川の上へ投げていたよ」

 私はそう言って、房太郎の顔をちらっと見た。自分の眼が熱く燃えているうような気がした。すると、房太郎の顔は急にいっそう青ざめて、ほっそりとなったように見えた。

 「ふーん」と彼は鼻であしらうような返事をしたが、今度はうつむいて考える様子になった。

 彼は中学の入学試験の算術の種本だと言っていたねずみ色の表紙の本をぐるぐる巻くようにした。それはやわらかい表紙であったが、本がかなり厚いものであったので、思うように巻くことができず、ページがばらばらとはじけた。それでも彼は考えこみながら、それを巻こうとするのであった。来年彼が中学に入れれば、その本を、その次の年に受験する私に貸してくれると彼は言っていた。中学の先生の種本だということで、私はその本を借りるためには、どんなことでも彼の言うとおりになっていようと覚悟していた。それが分かっているせいか、彼は何かというと私の目の前でその本を見せびらかすのだ。でもいま彼の頭はそれどころでなく、混乱してしまっていることが分かった。京子が手紙のことを先生や両親にいいつけはしないかと彼は心配になってきたのだ。房太郎の混乱が私にすぐ感染した。私も彼と同罪だという考えが、ちらと心にうかんだ。だが、渡さなかったんだ。手紙は渡さなかったんだ。私が房太郎のように手紙の露見するのを心配するのはいらないことであった。それでも、彼といっしょになって、あの手紙のことで、先生や親たちに叱られそうな怖れを感じなければならないような気持ちが去らなかった。

 「いいや、あんなやつ。ちょっとからかってやっただけなんだからな」と房太郎は不安をおさえるように言った。

 「うん」と言って、私も彼と同じように、西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけていた。その晩房太郎はだまりがちであったし、私は彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念 に思うふうにもの静かにしていた。

 この日からあと、私は奇妙な二つのちがった心の動きを本当らしく進めて行かねばならないという作為の世界に入って行った。

問 「二つのちがった心の動き」とありますが、それはどのような気持ちですか。次の中から適当なものを選んで、記号で答えなさい。〔麻布中学〕

ア・房太郎は「私」が手紙を破いたことなど全然気づいていないのだと安心する気持ちと、今後は房太郎に対して、表面では協力しているふりをしなければならないという気持ち。

イ・手紙を破いてしまったことはしかたがなかったんだと思う気持ちと、手紙を渡したつもりになって、房太郎に対して、残念に思っているようにふるまい続けようという気持ち。

ウ・京子への手紙を破いたことを、房太郎にずっとかくしておこうという気持ちと、それでもいつかは手紙を破いてしまったことを告白しなければならなくなるだろうと思う気持ち。

エ・手紙を破いてしまったのは自分自身のためではなかったかとうしろめたく思う気持ちと、房太郎が京子に手紙を渡そうとしたことは悪いことなのだと思いこもうとする気持ち。

オ・「私」が好意を持っている京子が、今回のことを知ったらどう思うかと不安になる気持ちと、その不安をむりにかくして、今までどおり房太郎とつきあっていこうという気持ち。

問 「二つのちがった心の動き」とは何と何ですか。次の中から二つ選び、記号で答えなさい。〔筑波大附属駒場中学〕

ア 「自分の眼が熱く燃えているような気がし」続けること。

イ 「私も彼と同罪だという考えが、ちらと心にうかん」で消えないこと。

ウ 「先生や親たちに叱られそうな怖れを感じなければならないような気持ちが去らな」いこと。

エ 「西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけてい」ること。

オ 「彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念 に思うふうにもの静かにしてい」ること。

問 「二つのちがった心の動き」とありますが、それはどのような気持ちですか。説明しなさい。〔麻布中学改題〕

問 「奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますが、「二つのちがった心」の内容を答えなさい。〔筑駒中学改題〕

問 「奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますが、「二つのちがった心」の内容を、文中のことばを用いて答えなさい。〔市川中学〕

F:『筑駒』は問八「二つのちがった心の動き」とは何と何ですか。

e:『選択肢問題』を『記述』に改題ですか?

F:いつものパターンです。

e:で、どんな答えがでてきました。?

F:「彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念に思う風にも

  の静かにしていること。」というのは、ほとんどのお子さんは書きますね。

e:これは『筑駒』の選択肢のオでしょう。もう一つは?

F:これも「西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけてい

  ること。」と書くお子さんが多いですね。

e:これは『筑駒』の選択肢のエでしょう。なんだ、二つとも文中からの書き抜き

  じゃないですか?!

F:『筑駒』でも、この問いが『記述問題』であっても

e:ぬき出せばいいと?

F:いうことでしょうか?

e:『筑駒』は抜き出しちゃダメなんてよくいいますけど。で、『麻布』は?

F:(九)「二つのちがった心の動きを」とありますが、それはどのような気持ち

  ですか。次の中から適当なものを選んで、記号で答えなさい。

e:「次の中から適当なものを選んで、」ということは答えは゛二つ゛ある?

F:゛最も゛適当なものとか

e:゛一つ゛選んで、とかがないですからね。

F:参考に『解答用紙』を見ると

e:二つ書く゛大きさ゛じゃない?

F:『麻布』はそんな

e:゛陰険゛なことはしない!

F:解答らんを少しおおきめにして、とか

e:全く同じ大きさのもありますよ。

F:゛最も゛とつけないところが

e:奥ゆかしい?もしかしたら、゛最も適当な゛選択肢゛じゃないかも?

F:本当のところは伊藤整にきいてみなければ、わからないでしょう。

e:で、これも『選択肢問題』を『記述』に改題ですか?

F:そうですね。ところが、面白い現象が。

e:なんですか?

F:第一志望が『麻布』のお子さんと

e:第一志望が『筑駒』のお子さんと

F:答えが゛微妙゛に違うんです。本文の量とも関係してくるんですが。

e:『筑駒』の、あの短い本文の範囲での理解と

F:『麻布』の長編の本文の範囲での理解とでは

e:それは仕方ない、と。

F:さて、『自由記述』に改題して

e:その結果、どんな゛答え゛が?

F:『筑駒』の

e:例の゛二つ゛の答え以外に

F:そうですね。

e:直前の゛二つ゛を書けばいいや、と思うお子さんと

F:ちょっと待てよ?

e:『麻布』はそんな簡単な問題は出さないぞ、と。

F:他に゛考えられる気持ち゛がないか、と。

e:そうすると、

F:いろいろ出てくるんですね。

e:その一つが、『麻布』の『選択肢問題』のイの

F:前半部分ですね。

e:それ以外に?

F:゛検討の余地あり゛の゛答え゛でした。

e:ここまでくると楽しみでしょうね。ところで、改題しないで『選択肢問題』と

  して考えたらどうなりますか?考えたくもないでしょうが。

F:イの手紙を破いてしまったことはしかたなかったんだと思う気持ちと、手紙を

  渡したつもりになって、房太郎に対して、残念に思っているようにふるまいつ

  づけようという気持ち。

e:あれ?前半の気持ちが少し違いますね。

F:「私は奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますね。

e:それで、

F:゛この゛「二つのちがった心の動き」とは書いていないですね。

e:゛この゛があれば直前を指し

F:『筑駒』の答えになるかも?ですね。

e:「この日のあとから、

F:~作為の世界に入って行った。」とあります。

e:「本当らしくすすめて行かねばならない」

F:「手紙を渡したつもりになって、」でしょう。

e:「房太郎に対して、」

F:「残念に思っているようにふるまいつづけようという気持ち。」

e:が、一つですか?え、ということは『筑駒』のエ・オは一つの心?

F:こればかりは、

e:伊藤整に聞かなければ本当のところは解らない?

F:聞いてもね。

e:無口・無表情

F:無愛想・無愛嬌だったらしいですから。

e:聞いても答えてくれない?

F:とは一概に言えないでしょう!一年に一度の正月に聞けば。

e:「俺はバカだ。俺はバカだ。」と

F:死ぬ前の日に心情を吐露したんでしょう。

e:「みんな馬鹿で生きてるんでしょ」と奥さんが答えた?

F:それはさておき、親御さんも、お子さんの゛受験゛があったからこそ、知り得

  た!

e:あるいは、新しい発見があった!

F:受験という機会がなければ

e:こういう物語の世界に触れずにいた?

F:お子さんと共に”物語を共有する機会”ってなかなかないですね

e:10歳前後というのは時期的にもGOOD!!TIMING!!

F:でしょう。

e:感性を磨く、にはね。

F:親御さんも在りし日の自分と重ね合わせる時間を持てたことも貴重です。

e:中学受験の意義を

F:そこに見出だすのですね。

e:ですからこそ、良質の問題を出す学校に

F:気持ちは傾注していくんでしょうね。

 甘やかされて育ち学校でできの悪い上級生で、来年の中学校の入学試験に落ちるにきまっていても、何となくずるくってするどいところのある房太郎をそそのかしては、店の売り上げでようかんの買い食いのお相伴をしたり、田崎先生に男から来る手紙の話を聞いたりすることは、私にとってぼんやりと楽しいことであった。しかし今度のことはそれとはちがっていた。もっとはらはらする、危なっかしいことで、おそろしいが、何となく新しい張り合いもその中にあった。

問 「新しい張り合い」とありますが、どういうことですか。これまでの房太郎との関係を考えながら、次の語句を必ずもちいて、100字以上百二十字以内で説明しなさい。(句読点や記号も一字とします。)

  【 秘密・もうひとりの自分・新しい関係 】

伊藤整(いとうせい)

詩人、小説家、評論家。本名整(ひとし)。明治38年1月17日北海道松前郡炭焼沢村(現松前町白神)に生まれる。小樽(おたる)高等商業学校(現小樽商科大学)時代から詩を書き始め百田宗治(ももたそうじ)主宰の『椎(しい)の木』同人となり、詩集『雪明りの路(みち)』(1926)を出版。1928年(昭和3)、小樽市中学校教諭を辞めて上京、東京商科大学(現一橋大学)に入学。詩から小説、批評に転じ、フロイトやジェームズ・ジョイスの影響を受けた新心理主義」の代表的理論家兼実作者として文壇に登場し、評論集『新心理主義文学』(1932)、小説集『生物祭』(1932)を出した。その後、20世紀文学の方法を利用して詩や私小説の芸術的エッセンスを作品化することを試みた。『街と村』(1937~38)、『得能(とくのう)五郎の生活と意見』(1940~41)などの小説を経て、第二次世界大戦後、詩、小説、評論戯曲などのさまざまな形式を組み合わせた現代知識人文学の代表作『鳴海(なるみ)仙吉』(1946~48)を発表すると同時に、日本近代小説の私小説的性格を西欧と対比しながら明らかにした評論集『小説の方法』(1948)を出して注目された。50年(昭和25)に翻訳・出版したD・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻(わいせつ)文書の疑いで起訴され、いわゆるチャタレイ事件が起こった。結果は有罪に終わったが、この裁判闘争の体験を生かして戯文エッセイ『伊藤整氏の生活と意見』(1951~52)、『女性に関する十二章』(1953)、長編『<火の鳥』(1949~53)などを書き、ベストセラー作家になった。その後の長編に自伝小説『若い詩人の肖像』(1954~56)、人間のエゴイズムと俗物性を追求した『氾濫(はんらん)』(1956~58)や『発掘』(1962~64)、老年の性を描いた『変容』(1967~68)、父の生涯を記録した『年々(ねんねん)の花』(1962~63)などがあり、ほかに大著『日本文壇史』(1952~69)、『太平洋戦争日記』(1983)がある。68年、芸術院会員。昭和44年11月15日、胃癌(いがん)のため死去。 伊藤整 - Yahoo!百科事典より引用

伊藤整

昭和44年2月ごろから、自動車に乗ると吐いたり、便秘や血便の症状があったが、彼はその重大性に気がつかなかった。

しかし4月28日ついに倒れて床についてから、その憔悴(しょうすい)ぶりが甚だしいので、妻が、いやがる彼を説得して神田の同和病院に入院させ、診断の結果、5月11日、開腹手術を受けた。手術後、医者は「非常に残念なことを申しあげます」といい、多分胃に発生したガンがいまや肝臓、直腸をはじめ腹腔一杯にひろがっていて、もう手のほどこしようもないことを家族に告げた。

家族はこのことを整に秘した。

「手術後、1週間くらい父は苦しんだ。ベッドから転げ落ちるほどの苦痛に耐えた」

と、次男の礼は書く。

「父の苦しみが極まり、強く折檻された犬が最後に悲鳴もあげえなくなったときのように、父がただ顔を歪(ゆが)めるだけになったとき、今まで若々しいと思っていた父が、一瞬にして老境におちこみ、苦しみをこらえる力も意地も失くし、ただ芋虫のようにベッドでのたうちまわっているように見えてきた。(中略)

そのうちに私は、そうやって苦しんでいながら、父がじつはものすごく歯等をたてているのだということに気がついた。鼻孔に酸素吸入のゴム管を押しこまれ、そのゴム管を頬に絆創膏(ばんそうこう)で貼りつけられ、唇をからからに干(ひ)からびさせ、腸のなかにもビニール管をさしこまれ、その先端からは四六時中じとじとと便がながれ出す。そのようなありさまでまさに芋虫のように身動きもできずに横たわった人が、ものすごく腹をたてているのだ。それは書斎から無理やりに引き離してしまった病に対する怒りだった」

      ・

7月にはときどき帰宅を許され、8月には退院した。しかし9月にはいると、また吐気と食欲減退に悩まされるようになった。

10月18日、彼は、明後日がん研附属病院に入院する決心がついたことを家族に伝え、

「おれは今度の病気では死なない。死なないが、がんかも知れない。そうだったらしかたないが、おれはがんではないと信じている」

と、いった。しかし、その夜彼は日記に書いた。

「貞子(妻)たち、決してがんでないというが、私は最悪を考えて、涙流れる。『年々の花』ひとつでもまとめたし。『発掘』『三人のキリスト者』それぞれ1週間必要、文壇史の三章(明治45年)書き足し、全篇の訂正は大事業にて、私がいま死んだら……」

それは未完の長編や、なかんずく18年書きつづけて来た日本文壇史』への妄執であった。

人は死に臨んで、多くはおのれの「事業」を一片でもあとに残そうとあがく。それがあとに残るという保証はまったくないのに。――これを業(ごう)という。

10月20日、整はがん研病院に入院した。

11月13日まで、彼はトイレに一人でいった。病み衰えた顔に眼を大きく見ひらき、宙をにらみすえるようにして歩いた。

しかし、その夕方から高熱と悪寒を発し、医者はひそかに臨終の近いことを告げた。14日、妻はあちこちに電話をかけ、見舞客が続々と駈けつけたが、整はだれにも会いたくないといった。

      ・

苦しみと眠りは10分おきになり、15日の朝が来た。整はふいに眼をあけて、「いやな夢を見た」といった。死に瀕しても、人間の脳はなお悪夢を夢みる!

「昼ごろのどに痰のからむような様子を見せはじめたので、私たちが綿棒や吸引器で取ってやろうとすると、上手に取れるように父が協力してくれるのが分かった。3時40分、父は昏睡におちた。そして、呼吸が止んだのは4時50分だった」と、礼は記す。ー じじぃの「人の死にざま_658_伊藤・整」 - 老兵は黙って去りゆくのみーより引用

伊藤整━少年━

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慶應への国語  竹西寛子  ━神馬━ 5

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竹西寛子━神馬━

本

  三度目の時、神馬はまぶたを閉じたままかれ草の上に横たわっていた。神馬はまぶたを閉じたままかれ草の上に横たわっていた。前肢と後肢を行儀よくそろえて海の方に流している。時々身ぶるいしてうすきまぶたを開いたが、つづきの眠りに帰るようにじきに閉じた。大きな体が無防備になると、小さな体以上にあどけなく見えることがある。横たわっている馬は、参けい人の呼びかけにも、命令にも少しも反応を示さないので、厩舎の前の人だかりはすぐにくずれたが、一時するとまた新しい人が寄った。
  少女は、この馬は今日は病気かもしれないと思った。そう思って見ると、気のせいか息づかいがせわしそに見えた。しかしよくながめているうちに、病気ではなくて、ちょっと休んでいるのかもしれないと思うようになった。
 神馬にもお休みがあってもいい。そうでなければ目がまわってしまう。
  さらにまたその次に考えたのは、もしかするとあのように人にあらがっているのかもしれないということだった。ただそれにしては、この神馬の目が優し過ぎた。馬には、これまで一度も手をふれたことがないし、馬の後ろを通ってはいけないとお母さんにもよく注意されてきたけれど、あの目と同じようにわたしも優しければ、かれ草の上にひざまづいてほおをなでても、この馬は決して荒びはしないだろうと思った。

問 「あの目と同じようにわたしも優しければ」とありますが、どのように優しくすればよいのですか?

F:お子さんも同じだと思いますよ。

e:お子さんは口数も手数も多い方が勝ち?

F:相乗効果!?

e:とにかく口も手も

F:そして、頭も

e:より多く使った方が

F:確実に合格します。

e:よくしゃべり、よく書き

F:よく頭を働かせ。

e:ごく稀に例外のお子さんもいますけど。

F:とにかく、親御さんは

e:もっぱら黙って゛手゛を動かす!?

F:あと9カ月!

e:270日!

F:合格への近道

e:急がば廻れ!?

 新しい人だかりがくずれ、足音がばらばらと本殿の方へ遠ざかっていった。少女はこの時もいっしょの母親に、もう少しここに居て、と言った。母親はうなずいた。石の台には、人参がのせられたままになっている。

 不意に、前肢を引き寄せるようにして馬が起き上がった。尾でわき腹を打ち、前肢と後肢を片方ずつ交互に折り曲げたりしていたが、」威勢よく身ぶるいをすると、静かに石の台に近づいた。食欲をみせた。少女は人参を一皿求め、母親に背をつかまれたままのび上がるようにしてそれを石台に移した。

e:「陸の少女」って?

F:島に対して陸地に住む少女という意味合いでしょうか。陸地は広島?

e:「連らく船は、日にいくども陸地とこの島の間を往き来する。」とありますね。瀬戸内海の島?

F:「少女は、この馬は本当に目が見えるのかしらと疑ったほどである。」

e:動作が緩慢でおとなしく

F:少しも生き生きしたところがない

e:本当に目が見えるのかしら?なんてね。

F:神様に仕えるものは

e:スロー?で、スローフード?

竹西寛子━神馬━

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人の生きのびるかぎり続く気重さ  慶應への国語  竹西寛子  ━神馬━ 完  慶應義塾普通部・慶應義塾湘南藤沢中等部・慶應義塾中等部対策

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竹西寛子━神馬━

本

わたしのえさをたべている。その通りであった。少女は、はじめてただの見物人ではなくなっていたことに満足した。くぼみはすぐに空になった。すると神馬は、声もかけられないのに、予定の行動のようにあの見なれた左まわりをはじめたのである。少女は、まるで自分が、お廻り! とさけびでもしたような怖さにうろたえながら母親と顔を見合わせ、その足どりを追った。

問 「はじめてただの見物人ではなくなっていたことに満足した」とありますが、どのようなことに満足したのですか。

問 「怖さ」とは、どのような怖さですか。

その姿を見た少女は、神馬といっしょにいたこれまでのどの時よりも不幸せになっている自分に気づくのであった。

 人の生きのびるかぎり続く気重さであり、後ろめたさであろうと気づくのは、まだずっと後のことであった。

問 「気重さであり、後ろめたさ」とはどのようなものですか。

F:武蔵H14(2002年)に竹西寛子の「兵隊宿」、同年成蹊に「兵隊宿」の「蘭」が出てますね。

e:「兵隊宿」は川端康成文学賞受賞作品でしょう。最近では灘でも出ましたね。

F:「洋館の人達」(H19)でしょ。普段着の生活のひとこまを

e:何気なく文章にしてる、って感じですか?

F:しかし、被爆体験もあって

e:存在意義を問うている?

F:人間そのものの在り方といいますか

e:深遠さ?

F:悲哀?

e:この神馬も読み方しだいで

F:洛星の問題が好きな理由ですね。

e:ここに興味深い資料がありますよ。

《東京書籍版教科書ガイド国語総合(現代文編)》あすとろ出版

F:高等学校1年国語の

e:いわゆるアンチョコ版ですか?

F:『神馬』を読み解く!?

F:洛星の設問と同じのがありますね。

e:ところが、

F:解釈が違ってるんでしょ?

e:どっちが正しい?

F:というより、読みがどちらが゛深い゛がということでしょうか?

e:゛神馬゛のとらえかたの違い?

F:でしょうね。

e:これも、本当のことは

F:竹西寛子にきいてみなければ

e:わからない?

「少女は、まるで自分が、お回り とさけびでもしたような恐さにうろたえながら母親と顔を見合わせ、その足どりを追った。」

F:最後の、この一文の゛恐さ゛をどう読むか、でしょうか?

e:もちろん、本文全体ででしょ?

F:問題文の範囲で、ですね。

e:何か、ヒントは?

F:ヒントになるかどうか...少女は神馬と何度出会ってますか?

e:3度?

F:2度目の終わりにと比べると

e:3度目になると、

F:少女は神馬をずっと身近に感じていることがわかりますね。

e:「神馬にもお休みがあっていい」なんて、ね。

竹西 寛子たけにしひろこ小説家1929年広島県に生まれる藝術院会員『管弦祭』で女流文学賞掲載作は「海」昭和五十五年(1980)三月号に初出翌年に川端康成文学賞を受ける。

まず、私は作者について、非常に端正な言葉を使う人だなと思った。悲劇的な文章でも派手な文章でもなく、ただ普遍的な、一人の少女の成長を的確に描いた文章に好感を持つことが出来た。
 少女が初めて神馬を見た日、二度目に見た時、そして三度目の時。この三回においての感情の変化、自分についての理解がよくあらわされている。人間の命令に無抵抗に従う馬の弱さ、そしてそんな人間の醜さ、その二つの存在に気が付き、また自分自身にもそんな二面性があることを知る。神馬に対しての心通じたという思いも全て自分の思い込みであった、そう気付いた少女の不幸せさ、また後に気付くであろう人生の不条理さは決して話の中だけのことではないなと思った。
 私もこうして自分自身を知っていくのかな、と思わされた。また、前に述べたように作者の日本語の使い方に感動し、他の作品も読みたいと思った。美しいという言葉がよく合う作品だった。ー14歳の軌跡ー竹西寛子『神馬』を読んで-より

「神馬(じんめ)」
 「神馬」は、かつて大きな神社などに飼われていた白馬のこと。神を乗せる神聖な馬として奉納さえたが、しだいに見世物にされたようである。戦前の読者なら、白馬が天皇の乗馬であったことを想起するだろう。主人公の少女は、神社で神馬を見る。人がえさをやるとき、馬に芸をさせるのを見て悲しくなる。見物人がいないとき、少女ははじめてえさをやる。だが馬は少女が要求もしないのに芸をする。少女はたまらない「不仕合せ」と「後ろめたさ」を感じる。相手にたいする同情が空転し、その思い上がりが痛みとなって自身の身へと振りかかってくることを的確にとらえた作品。

「兵隊宿」
 ひさし少年の家は兵隊宿にされることが多い。彼は絵が好きで、馬の絵をよく描く。戦地に赴く将校らが彼を連れて神社に(最後の)お参りをすることを頼む。ある日、行を共にした彼は、将校らの、死を前にしながらそれをおもてに出さない切実な気持ちを理解したと思う。少年の眼から戦中の日本の姿がくっきりととらえられている。

竹西寛子━神馬━

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2014年 慶應への国語 スタートダッシュ 個人指導 限定募集

「過去問」〔37年分〕の徹底分析で”傾向と対策”を知り尽くしたe Fが本番に通用する  「国語」で”合格”を期す。

国語が苦手で、慶應義塾普通部・慶應義塾湘南藤沢中等部・慶應義塾中等部を目指す君へ

「慶應国語」を科学する”短期集中特訓”であと30~50点上げ、”合格”を確実なものにします。

個人別「オリジナルカリキュラム」に基づき、「カルテノート」「カリキュラムレコード」を作成。万全のフォロー体制。

慶應義塾普通部・慶應義塾湘南藤沢中等部・慶應義塾中等部への国語・・・・・・・小6

・慶應義塾普通部への国語・・・・・・・・・・・・論説・物語・随筆文の徹底解読と論理と発想力の特訓

・慶應義塾湘南藤沢中等部への国語・・・・・物語・随筆文の本質の徹底解読と発想と表現力の特訓

・慶應義塾中等部への国語・・・・・・・・・・・・・論説・随筆文の徹底解読と語彙と文法の特訓

[募 集]・・・若干名 [入会金]・・・10000円 
[期 間]・・・2015年1月末日
[1時間]・・・10000円(教材費・交通費込)   
[教 材]・・・『過去問題と2015年予想問題』『慶應への知識(全6冊)』

慶應義塾普通部・慶應義塾湘南藤沢中等部・慶應義塾中等部への国語(基礎)・・・・・・・小5

[募 集]・・・若干名 [入会金] ・・・10000円 
[期 間]・・・2016年1月末日
[1時間]・・・7500円(教材費・交通費込)  
[教 材]・・・『慶應への国語オリジナルテキスト&プリント(基礎)』『慶應への知識(全4冊)』

 ここでは、読解問題を一律にする指導から脱却し、国語学習の理想環境を設定して、あらゆる教科の基礎である”語彙力”や”思考力”そのものの向上を目指すとともに慶應義塾普通部・慶應義塾湘南藤沢中等部・慶應義塾中等部受験に必要な「国語基礎力」を養成します。
 総合的な「受験国語力」をじっくり熟成する慶應3校受験のための個人指導です。
「読解と記述指導」と「文章をまとめる力」の徹底指導を行い、あらゆることの基礎である言葉で考える力と語彙力を根本的に養成し、本物の「慶應国語」を目指します。

※ご指導までのプロセス
  
①お電話でお問い合わせ下さい。ご面談の日時を決定します。
②ご面談(御父母とお子様)
③ご入会のご検討
④ご入会時に指導曜日・時間を決定します。
⑤「指導契約書」の作成
⑥指導開始

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開成への国語  このおばあさんは、きっと〔妖精〕だわ  内海隆一郎 ━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━ 1

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内海隆一郎━人びとの忘れもの━

感受性豊かな少女とおばあさんの心の交流。大切な約束を果たさなかった少女の後悔の念を描いている。ー「銀本」より引用ー

《あらすじ》

「小さい手袋」という作品は、父親である語り手が、娘の小3のころの思い出をふりかえるという形になっている。娘は雑木林のそばで「宮下さん」という老女に知り合い親しくなるが、祖父が脳卒中で亡くなったことから、同じ病気を持つ「宮下さん」に会いに行くのをやめてしまう。2年半後、その老女の入院していた病院に行った父娘は、「宮下さん」のことを尋ね、「宮下さん」が娘に会いたがっていたこと、クリスマスプレゼントに手作りの小さな手袋を用意していたことを知る。「宮下さん」がまだ入院していることを知った娘は会いたがるが、もう痴呆が始まっていて、会っても分からないだろうと修道女に止められる。小さな手袋を握りしめた娘は、父とともにそっと雑木林の入り口へと向かう。

 私の家から歩いて十五分ほどのところに、武蔵野の面影を残した雑木林がある。六年前の秋、その雑木林で、私の次女が年老いた〔妖精〕に出会った。そのとき、シホは小学三年生だった。

 「ほんとよ。ぜったい、いたんだからあ」

 十月半ばの午後、近所の友だちが飼犬の運動に行くのに付き合って、シホは林へ行ったのだそうだ。 

 林の中で鎖をはなしたら、犬は深く積んだ落葉を蹴ちらして突っ走って行ったきりもどって来ない。友だちと二手に分かれて、犬の名を呼びながら、林の中を探しまわった。

 すると、いきなりシホの眼前に、その〔妖精〕が現れたのだそうだ。

 一本の木が地面のすぐ上から曲がって、地をはうように伸びている━━その幹に、小柄なおばあさんが、ちょこんと腰かけていた。こげ茶色の大きなショールに包まれて、膝の上には太い編み棒と毛糸の入った手提げ籠があった。

 髪は真っ白、小さな顔も真っ白で、子供のようなくりくりした黒い瞳がじっと娘をみつめていた。そのからだがあまりに小さいので、長めのスカートからのぞいている黒靴の爪先が地面から高く離れていたそうだ。

 シホは立ちすくんだ。意外なところにおばあさんがいたのだから、それだけでも驚くのは当たり前である。ところが、おばあさんのようすを観察しているうちに、シホは震え上がってしまった。つい最近読んだ童話の本を思い出したからである。その本には、魔法を使って人間を石や木に変えてしまう意地悪な〔妖精〕が出てきたのだ。それが、目の前のおばあさんとそっくりだった。

 ━━ いけない。このおばあさんは、きっと〔妖精〕だわ。目を見合わせていると、魔法をかけられちゃう。

 とっさに、シホは伏目になり、足もとだけを見るようにして、そろそろと後ずさった。

 「それは、よかった。実に適切な判断だった。非常に沈着な行動だったぞ」と、私は娘にいった。

 「おばあさんが妖精だったら、おまえは雑木林のくぬぎの木にされていたかもしれないんだからな」

 小学三年生の娘は、父親のまじめは反応に大いに満足したようだった。そばにいた妻は、笑いを含んだ目つきで、娘と私を見比べていた。

問 「そばにいた妻は、笑いを含んだ目つきで、娘と私を見比べていた」とありますが、このときの「妻」の気持ちを答えなさい。

 数日後、シホは〔妖精〕のおばあさんから毛糸で作った親指大の人形をもらってきた。

 「いやだあ、妖精なんかじゃなかったよ。カペナウム病院にいるおばあちゃんだった。どうもおかしいと思ったんだ、あたし」

 小学三年生の幼い頭でも、童話に出てくる〔妖精〕が近状の雑木林にいるわけない、と気づいたわけだ。シホは、〔真偽〕を確かめに、一人で林に出かけたのである。

 〔妖精〕のおばあさんは、いつかと同じ木の幹に腰かけて、たくさんの小さな毛糸人形をこしらえていたそうである。

 「その人形は、あの林の入りこんだ子供たちかもしれないぞ。魔法で毛糸人形にされたんだぞきっと。油断するな」

 私がいうと、娘は、けらけらと笑った。彼女の頭からは、すでに意地悪な〔妖精〕のイメージは消えていたようである。

問 「娘は、けらけらと笑った」とありますが、このとき「娘」が「けらけらと笑った」のはなぜですか。説明しなさい。




  『小さな手袋』 は 『人びとの忘れもの』 に収録された短篇作品。

この作品は1992年の麻布中学の入試で出題されました。現在、中学2年の教科書(三省堂)に載っています。

内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 - )は、日本の作家である。「ハートウォーミング」と呼ばれる独自のスタイルによって市井の人々を描くことを得意とし、これまで5作品が直木賞候補となった[1]

愛知県名古屋市生まれ、岩手県一関(現在の一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学社会学部卒業。ー内海隆一郎 - Wikipedia ーより引用

内海隆一郎━人びとの忘れもの━

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開成への国語 内海隆一郎 ━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━ 2

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内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

本

 カペナウム病院というのは、キリスト教会が経営している小さな病院である。建物は木造の平屋が三棟。一棟が診療所で、二棟は入院病棟となっている。

 シホの出会った〔妖精〕のおばあさんは、この病棟の入院患者だった。しかも、すでに一年以上も滞留しているらしい。脳卒中のために、右手と右足が不自由になっているという。いつも編んでいる毛糸人形は、リハビリテーションの一種なのだろうか。とにかく、一個完成するまでには、正常な人の五倍も時間がかかるのだそうだ。

 ━━といった話を、シホは毎日のように私に報告した。

 シホは、おばあさんに会いに、雑木林へ日参するようになっていたのである。帰宅したシホの髪の毛から、雑木林の枯葉の甘いにおいがただよっていた。/p>

問 「帰宅したシホの髪の毛から、雑木林の枯葉の甘いにおいがただよっていた」とありますが、このとき「私」はどんなことを感じていたのだと思いますか。「甘いにおい」という表現に気をつけて、説明しなさい。

「K=声の教育社」「G=学校図書」「N=日能研」の”解答”

「K」 妖精と勘違いしたおばあさんに会い、雑木林に行く娘の行動を、物語の世界のようにほほえましく感じている。

「G」 シホは、おばあさんに会いに雑木林へ出かけたとき、シホがおばあさんと楽しいひとときを過ごしたと感じた。

「N」 秋の雑木林の中で、シホとおばあさんの暖かい心の通い合いを感じていた。

e:確か、感性豊かな「シホ」という少女と

F:〔妖精〕のような「おばあさん」との純な”心”の交流が

e:「メインテーマ」(薬師丸ひろ子主演角川作品)ですよね・・・

F:「甘いにおい」とは何ぞや、ですね。

e:これは麻布らしい設問ですね。

F:「甘いにおい」につられて・・・

e:”こっちの水が甘いぞ”

F:「甘いにおい」って人ぞれぞれの感じ方があると思いますが・・・

e:嫌いな人って、いますかね・・・

F:ここでは”人の心を和ませるもの”と判断して

e:あるいは”癒されるもの”?

F:その「甘いにおい」によって「私」の心は和まされ、癒された?

e:雑木林の中の「甘いにおい」とは

F:「メインテーマ」からシホとおばあさんとの心の交流

e:心のつながりを「私」は感じ「甘いにおい」と表現した?

F:と思いますね。後に出てきますが、

「ううん。雑木林の中は温かいんだよ。それに、あたしがおばあさんのショールの中に一緒に入っていると、とっても温かいんだって。ショールの中でお話をしながら、おばあちゃんは人形を編んでいるんだよ」

e:そう言えば、「メインテーマ」、も”甘かった”!?

 十一月に入って、空気が冷たくなっても、シホは雑木林に行くのをやめなかった。学校から帰るとすぐに自転車を駆って出かけた。

 「だってえ、あたしが行かないと、おばあちゃんは泣きたくなるんだそうだもの。いつも、明日も来てね、ってゲンマンするんだよ

問 「だってえ、あたしが行かないと・・・・・・明日も来てね、ってゲンマンするんだよ」とありますが、「おばあさん」がそれほどシホを心待ちにするのはなぜですか。説明しなさい。

 「こんなに肌寒くなっても、おばあさんは雑木林に来てるのかい。からだによくないはずなんだがなあ」

 「ううん。雑木林の中は温かいんだよ。それに、あたしがおばあさんのショールの中に一緒に入っていると、とっても温かいんだって。ショールの中でお話をしながら、おばあちゃんは人形を編んでいるんだよ」

 「どんなお話をするんだい」

 「そうねえ。あたしが学校で習ったこと。・・・・・・それから、大連っていう遠い町のこと。ずうっとまえ、おばあちゃんは、そこに住んでいたんだって。・・・・・・それからねえ、二人でおやつを食べるの」

 紙に包んだ二人分の〔おやつ〕を、ときおり妻が持たせてやっていた。〔お菓子の本〕と〔家庭医学の本〕と首っぴきで、高血圧の人に影響なさそうな菓子を、妻は真剣になって作った。

 実は、その頃、妻の父も脳卒中で倒れていたのである。東北に住む病父が、間もなく訪れる厳寒の冬を無事に乗り切れるかどうか、大いに危ぶまれていたのである。

 「おばあちゃんがねえ、こんなにおいしいお菓子を作ってくれるお母さんに、ぜひお会いしたいねえって。足が治ったら、きっとお礼にうかがいますって・・・・・・」

 「そうねえ。そのうちお母さんがあいさつに行かなくちゃね。シホちゃんがとてもかわいがっていただいてるんだしねえ」と、妻は遠くを見る目をしていった。

問 「そうねえ。そのうちお母さんが・・・・・・妻は遠くを見る目をしていった」とありますが、このとき「妻」が「遠くを見る目をしていった」のはなぜですか。説明しなさい。


3歳のとき、父親が一関の亜炭鉱山の経営者に着任[2]、一家とともに移住した内海は、20歳までを同地で過ごした。内海は一関中学校から一関第一高等学校に進学、高校時代は柔道に熱中した[3]。初め鉱山の経営は順調で、太平洋戦争大東亜戦争)敗戦直後までの内海家は裕福であったが、ほどなくすると亜炭需要が激減し、一家は没落して生活は困窮した[4]。やがて鉱山は閉山となり、父親は厳美渓の温泉旅館「渓泉閣」の支配人となった[5]。内海は高校卒業後、志望していた獣医大学に入学して上京したが、経済的な事情から学業の継続を断念、半年ほどで一関に帰郷した[5]。そこで両親とともに温泉街に間りして暮らした内海は、しばらくのあいだそこで刺激的で退廃的な生活を送っていた[5]。ー内海隆一郎 - Wikipediaーより引用

武蔵野のおもかげを残した雑木林。秋、小学三年生の「シホ」は自宅から歩いて15分ほどのその雑木林の中で、小柄なおばあさんに出会います。出会った瞬間「妖精が現れた」と思ったシホ。ふたりは秋の雑木林の中で交流を深めていきます。しかし、1ヵ月後、シホは祖父の死をきっかけにして、おばあさんとの交流を断ちます。それから2年半後、自分が雑木林に行かなくなった後の事実を知ったシホ。おばあさんの編んだミトンの手袋を手にして。少女と老女の出会いとすれ違い、最後の場面はじーんときます。

人びとの忘れもの』 は21の短篇を収録した質の高い作品です。すでに書店販売は終わっています。『小さな手袋』は「光村ライブラリー(9)」(¥1050)と、『30%の幸せ』 内海隆一郎/著(ベスト作品集・メディアパル社・¥1500)に収録されています。 

内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

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開成の国語 内海隆一郎 ━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━ 3

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内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

本

 十一月中旬、妻の父が二度目の脳卒中の発作を起こした。妻は、とりあえず単身、父親の病床へ駆けつけた。私と娘は、妻からの〔報せ〕を待つことになった。いつでも、すぐに駆けつけることができるように準備していた。

 その間、シホはえんりょがちに雑木林に出かけた。そして、短い時間で帰ってきた。おばあさんからも「おだいじに」という伝言をもらってきた。

 やがて、私たちが列車に乗らなければならない日がやってきた。

 シホにとっては、初めて体験する身内の不幸であった。幼いときから親しんだ祖父との別れは、小さな胸にも深い傷を刻んだようだ。

 いつもは活発な笑い声を立てている子が、大人のような暗い顔をしているのは痛々しかった。別れのための儀式がとりおこなわれている間じゅう、娘はうつむきつづけた。

 娘の中で、なにかが変化したのを、私は目撃したように思った。実は〔祖父の死〕というものが、これほどの衝撃を九歳の子供に与えるとは、私は予想もしなかったのである。

 シホの変化は、そのまま雑木林のおばあさんとの交際にもつながった。東北から帰ってきてから、シホはまるでおばあさんのことを忘れたように雑木林から遠のいた。

 それがきわめて〔自然〕だったので、私も妻も顔を見合わせただけで一言も触れなかった。おばあさんがシホを心待ちしているだろうことは察せられた。

 しかし、私たちにはそのときの娘の心に立ち入ることはどうしてもできなかった。もしかしたら、シホはおばあさんのことを本当に忘れてしまったのかもしれない。そのような[自然さ]だった。

問 なぜ「シホ」は「雑木林から遠のいた」のですか。

e:三年生、つまり九歳でおばあさんと出会い

F:そして、シホの記憶から忘れ去られた時点で

e:おばあさんとの゛別れ゛になってしまったんですね。

F:シホが十一歳、つまり六年生になって、おばあさんのことを思い出した時には

e:おばあさんの記憶からシホは消え去っていた。ところで、声教には「同じ時期におばあさんと同じ病気で祖父が亡くなり、そのつらさから会いに行かなくなってしまったシホを待って、手袋を編むおばあさん。」とありますが、

F:また、でましたね。

e:「そのつらさから会いに行かなくなってしまったシホ」の”そのつらさから”ですか?

F:”つらさ”じゃなく、

e:〔自然〕じゃないかと?なんと言っても9歳ですからね。

F:”感受性”の強いお嬢さんだとどうでしょうか?

e:より身近なおばあさんの死を体験したくなかった?

F:おじいちゃんの死を体験したことで、もうじゅうぶんだと?

e:身近な人たちの”死”を二度も連続して体験したくない、ということですかね。

F:二度体験する”つらさ”

e:それも同じ病気で!?

F:身近の人の死という状況を拒絶し、

e:それに近い人間からも遠ざかった?

F:もうこれ以上、傷つきたくなかった?

e:おじいちゃんの死のショックを考えれば無理も無いかな?


後年、内海の作品には父親や一関(架空の地名「岩井」、もしくは「I市」とされる)やそこに暮らす人々のエピソードが多く描かれることになる[2]

[編集]作家として

立教大学を卒業して出版社に編集者として勤務していた1969年昭和44年)、処女小説「雪洞にて」が第28回文學界新人賞を受賞した。しかし翌年、受賞第一作である小説「蟹の町」が第63回芥川賞候補となるも落選すると、そのショックから以降15年間に渡って断筆[6]、編集者として務め続けた。

1984年(昭和59年)、友人の紹介によって、日本ダイナースクラブの月刊会員誌 「シグネスチャー」への寄稿を開始。同誌では市井の人びとを描いた一話完結の短編小説を連載し、それらは翌年『人びとの忘れもの』として筑摩書房から出版された。エッセイとも小説ともとれる手法で日常生活のなにげない出来事をおだやかな文章で描いた心あたたまる短編は反響を呼び、後に「人びとシリーズ」と呼ばれる独自の作風として定着した[6]。これらは評論家や編集者からも絶賛され、この後内海は文筆業に専念することとなった[6]

1993年(平成5年)、「鮭を見に」が第110回直木賞1995年(平成7年)には「百面相」が第113回直木賞の、それぞれ候補作品となった。2008年(平成20年)、「人びとシリーズ」のベストセレクション、「30%の幸せ」が出版された。ー内海隆一郎 - Wikipediaー

主人公は祖父の死をきっかけにしておばあさんに全く会いに行かなくなった。死という状況を拒絶し、それに近い人間からも遠ざかった。成長したシホは、死を受け入れ、自分から状況に近づいていこうとした。

内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

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開成への国語 慶應への国語 内海隆一郎 ━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━ 4

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内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

本

 およそ二年半後の春六年生になったばかりのシホが雑木林のおばあさんのことを思い出したのは、ほんのちょっとしたきっかけからだった。

 その日は祝祭日だった。ところが、せっかくのお休みなのに、シホは前夜から風邪で発熱していた?行きつけの病院もお休みである。

 そこで、私はシホを自転車の荷台に乗せてカペナウム病院へ行くことにした。それまでは一度も通院したことはない。ただ、こうした日にもちゃんと診察してくれると聞いていたのである。

 看護婦さんは、すべて修道女であった。優しい笑顔を浮かべて、てきぱきと注射を打ち、ルゴールを塗ってくれた。

 薬の出るのを待っていると、シホが、そうだ、といった。

 「やっぱり聞いてみようっと」

 シホはベンチから立ち上がって、気軽そうに受付の小窓をのぞきこんだ。

 「あのう。ここに入院していた患者さんで、いつも毛糸人形を編んでいたおばあちゃんですけど、いまどうしているかごぞんじありませんか。白い髪の小さなおばあちゃあですけど」

 受付の若い修道女は、小窓の向こうから娘と私の顔を見比べてから、しばらく視線を宙に泳がせた。

 「いまは、そのような方はいませんねえ。いつごろ入院していらしたんですか」

 「二年半ぐらい前ですけど・・・・・・」

 「それじゃあ、わたしがここに来る前ですね。ちょっと待ってください」

 若い修道女は、受付の部屋から出てきて、すぐ隣りの薬剤室へ入って行った。すると、ほとんだ〔間髪を入れず〕という感じで、その薬剤室から中年の修道女がとび出してきた。右手にシホのkものらしい〔カルテ〕を持っている。

 「あなたがシホちゃんなのね。やっぱりいたのね。ほんとだったのね」

 修道女は、低い声で、興奮をおさえるようにして、いった。

 「探したのよ。宮下さんに頼まれてねえ」

 修道女の話によると、シホが会いに来なくなってから一ヵ月ほど、おばあさんは毎日のように雑木林に行って待っていたのだそうだ。そのうち十二月の半ばが過ぎて、寒気が厳しくなったので、病院では外出を許さないようにした。いまにきっと、シホちゃんは病院のほうに来てくれるわよ、と修道女たちはおばあちゃんをなだめるばかりだった、という。

 クリスマスの近づいたある日。おばあさんは修道女に泣いて頼んだそうだ。シホちゃんに渡したいものがあるから、どうしても探してほしい。これを渡すだけでいいのだから。見つけて連れてきてください。

 「宮下さんは、よほどシホちゃんが好きだったのね。━━わたしたちは手わけして、このあたり一帯を探しました。でも、このカルテのご近所を見ると、探した範囲からだいぶ離れているようねえ」

修道女はため息をついて、小さく笑った。そして、ちょっと待ってね、といいおいて薬剤室へ入って行った。

 しばらくしてから、彼女は茶色の袋を持って現れた。

 「これ、そのときの宮下さんからシホちゃんへのクリスマスプレゼントなのよ。あのあと、わたしが預かっていました」

 二年以上も、とつぶやきながら、シホは袋を開けてみた。手袋だった。赤と緑の毛糸で編んだミトンのかわいい手袋だった。

 「それはね、宮下さんがシホちゃんに内緒で、毎晩少しずつ編んだものなのよ。あの不自由な手で、一ヵ月半もかかって・・・・・・」

 手袋は、それほど長い日数をかけたにしては、あまりに小さかった。常人の五倍も時間がかかるという苦しい思いをして、ようやく編みあげた手袋だった。

 シホは、小さな手袋を両掌に包み、顔を強く押しつけた。かすかな鳴咽がもれ出た。

問 「シホは、小さな手袋を両掌に包み、顔を強く押しつけた」とありますが、このときのシホの気持ちを百二十字以内で説明しなさい。

e: ここで記述の”差”がでますか?

F: ご参考までに

e: Kの『解説』?〔K=声の教育社〕

F: 簡単ですよ!「会いに行かなかったことの後悔、おばあさんがどれだけシホを思っていたかを知ったときの申しわけなさなどをまとめよう」

e: で、『解答』は?

F: 「おばあさんと同じ病気で死んだ祖父のことを思い出すのがつらいばかりに、おばあさんの気持ちも考えず会いに行かなくなってしまった間、おばあさんは不自由な手で自分のために手袋を編んでくれていたことを知り、雑木林に行かなかったことを後悔している。」

e: ところで、『麻布』の設問はどうなっています?

F: 「この時のシホの気持ちを百二十字以内で説明しなさい。」の

e: ただ、”後悔”とか”申しわけない”という気持ちだけですかね……

F:修道女からありのままの”事実”を聞いた「シホ」はどんなことを感じたのか?

e:経緯もね・・・

F:まず、「シホ」が感じたことはおばあさんの自分への”深い思い”

e:そして”ありがたさ”

F:ところが、自分はそれにまったくこたえていけなかったという、申し訳なさにも通じる悔い

e:”やりきれなさ”も・・・?それに「顔を強く押しつけた」

F:「かすかな嗚咽」

e:さらに「涙にぬれた目が輝いた」とありますね。

F:ここから「シホ」はおばあさんが自分のそばにもういないということを実感して

e:言うにいわれぬ”寂しさ”や”悲しさ”を感じていた?

e:「小さな手袋」は「おばあちゃん」そのもの?

F:”形見”みたいなものでしょう。因みに「G=学校図書」「N=日能研」の”解答”

「G」 雑木林で会うことを約束し、おばあさんは待っていてくれたのに、約束を破ってしまったにもかかわらず、自分のために、あの不自由な手で、長い日数をかけて、一生けんめいあんでくれたことを知り、会わなかった後悔と、おばあさんへの感謝。

「N」 自分が傷つき苦しみから逃げていた二年半もの間、自分のことを思い続けたおばあさんの心の深さを知って感謝するとともに、自分の行動を後悔している。そしておばあさんの編んでくれた手袋に遺言みたいなものを感じとって悲しくなっている。

e:「おばあちゃん」の病気(脳卒中)に真摯に”向き合って”いたら

F::「おばあちゃん」は”ボケ”なかった?

e:真摯に”向き合え”なんて酷か

F:若干、9歳の「シホ」には!

e:まして、幼いときから親しんだ「祖父」との別れもありましたからね・・・

F:大好きな「おばあちゃん」が”ボケ”てしまったのは自分のせいなのではないか・・・?

e:”自責の念”に・・・

F:「祖父との別れ」からさらに「おばあちゃんとの別れ」は

e:辛いですね

F:もうこれ以上、”傷つき”たくはないという

e:「シホ」の気持ちも十分わかりますね。

F:さて、このような体験を通して「シホ」は何を知ったのでしょうか?


 娘が出会った老女・宮下さんは脳卒中でリハビリ中。毎日宮下さんに会いに行く娘に、母親はせっせとお菓子を作って持たせる。お世話になっている宮下さんへのお礼だけではない。母親の父も同じ脳卒中で闘病中なのだ。宮下さんの話をしながら、遠い目をする母親。きっとこの目には、東北にいる父親の姿が見えるのだろう。だからこそ、同じ脳卒中である宮下さんに共感するのだ

 そして、母親の父親、つまり娘からみた祖父が脳卒中で亡くなっていこう、娘は宮下さんのもとへいかなくなった。祖父を亡くしたショック、というより、脳卒中が命を奪うような病気であることを目のあたりにし、同じ病気を持つ宮下さんに会うことを自然と遠ざけるようになったのではないか。もうこれ以上、心に傷を作りたくなかったのだろう。

 同じ脳卒中という病気をめぐり、娘と母親の微妙な心理が見えるのがこの話のポイントだと考える。

内海隆一郎━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━

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開成への国語  おばあさんは、やっぱり〔妖精〕だったんだわ  内海隆一郎 ━人びとの忘れもの 「小さな手袋」━完

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内海隆一郎━人びとの忘れもの━

 

 「それで」と私が代わりに聞いた。「宮下さんは、いまどうなさっていますか」

 「はい、お元気ですよ。まだ、この病院に入院していらっしゃいます」

 シホは顔を上げた。涙で濡れた目が輝いた。

 「会いたい。会ってもいいですか」

 

 シホはすぐさま走りだそうという気配を見せた。それを修道女が静かに押しとどめた。

 「会っても仕方ありません。もうシホちゃんが誰なのか、分からないんですよ。この一年ほどで、急にボケが激しくなりましてね。・・・・・・しきりに大連のことばかり話しています。まわりの人を、みんな大連に住んでいたときの近所の人だと思いこんでね。ご本人は大連にいるんだって思っているんでしょうね」

 「大連に・・・・・・」

 「そう。宮下さんは、もう大連へ帰ってしまったんですよ。むかしの大連にね」

 カナペウム病院を辞去したあと、自転車の荷台からシホが、雑木林へ寄って行きたい、といった。熱のあるのが心配だったが、私はうなずいて、自転車を雑木林の入口の方へ向けた。

問 「雑木林へ寄って行きたい」とありますが、この時の「シホ」の気持ちを答えなさい。

e: なぜ、シホはおばあちゃんに会わなかったのかしら?

F:最後に、言い忘れました。シホはおばあさんに会いに行きませんでしたね。

e:あれほど、会いたがっていたのに。

F:父親の態度は表面化されてませんね。

e:会わせようとはしなかった?シホの意思を尊重したかな?大人の目線から?

F:シホの思い、気持ちかな?子供の目線から?シホはもう6年生です。

e:授業でしっかり聞いた方がいいですね。ところで、以前、この物語を取り上げましたね。

F:その時にメールがきたんです。

e:そうそう。当時Sのマンスリーで出たんでしょう!

F:その時に、反響があって。今はカリに組み込まれていますが...

e:一体、誰が書いた作品なのかという問い合わせ?麻布の過去問でしょ?

F:平成4年の問題です。

e:1992年ですか?で、Sはいつ?

F::2003年の5年のマンスリーですね。

e::『解答』に出典は明記してなかった?さすがに今は。

F::最近は明記していますけど……

e::麻布は出典を明記してなかったんだ!?

F::K社の解答・解説にも出典は明記されていなかった!

e::K社やSに出典を知っている人はいなかったのですかね……

F::で、このブログを見て初めて出典を知った!?というメールが。

e::俄かに信じられない話ですな……

F::どうしてもわかない作品もありますけど。

e::全く無名で、という?地方の新聞にとか?武蔵の「てんぐ石」とか?

F::全く知られていない同人誌に発表されたものなんかもそうでしょ?

e::ネットで検索しても見つからないってこともあります?NDLでも?

F::あると思いますよ。

e:出典なんて、考えられないですよ!!

F:おそらく出典の不明のどこかの入試をそのまま

e:コピー?ぱくりで作問してんだぁ!?

F:一番安易な作問のやり方ですよ。

e:ふつう、本をみて作問してると思ってましたが。。。

F:それがしてないんですね。

e::出典の不明な作品を出題する、っていうのは…

F::今は出典は明記しなければダメでしょう。

e::その点、YやNは昔からしっかり明記してますね。

F::大昔から。しっかり本を見ながら作問してますからね。

e::本屋さんに行って、すぐ買えますね。入手困難なものは別として。

F::絶版とか。入試問題には必ず出典を明記してもらいたいものですね。

内海隆一郎 「小さな手袋」 :中学校国語教科書平成18年度版『現代の国語』2年三省堂

e:最後に、おばあさんとの出来事が「シホ」の心に残したものとは?

F:その時は自分も精一杯でそうするしかなかったとはいえ

e:結果的にかけがえのない愛情を注いでくれた「おばあさん」をひどく傷つけてしまった

F:後悔しても取り返しのつかないことがあるものだという人生の真実

e:を知った!?

四月初めの東北地方では、桜が咲くにはまだ早く、私なども入学式のときに花を見た記憶はない。だが、関東になるとほぼ七分咲きの状態で、わたしの長女と次女の記念写真はそれぞれ桜花に彩られている。
「いまでは懐かしい思い出だけど」
  と、三十歳になった長女は写真を見ながら言う。
「体育館でクラスごとに並ばされたとき、前へならえを知らなくて困ったことをおぼえてるわ」
  彼女は先頭から二番目に立っていたが、 両手を前へのばすことを知らずに、先頭の子を真似て両手を腰にあてた。ほかの新入生たちは幼稚園や保育園で教わったらしく、みんな前へならえを知っていたそうだ。
  彼女にはその経験がなかった。 四六時中、母親と一緒にすごさせたいという父親の方針で、幼稚園や保育園には通わなかったからだ。おかげで集団生活に慣れていない彼女は、入学後も、だいぶ苦労したようだ。
  幼稚園に入れるかどうかと考えたとき、 だれもが同じような幼児期をすごすことはないと私は思った。みんなと同じように入園させて、前へならえの幼児教育にまかせるよりは、母親の温もりのなかで育てたほうがいいと判断したのだ。それが裏目に出ようとは思いもしなかった。
  同じことは次女にも当てはまる。 もともと内気な彼女の場合は、姉以上にたいへんだったらしく、 イジメの対象にもなったようだ。 そのせいか、 めったに小学校の思い出を語ることはない。
  よかれと思って決めた方針が、 娘たちにとっては船出のときからマイナスに働いた。そのことを、父親として、きわめて残念に思っている。
  アルバムをめくって入学式の日の写真を見ると、 七分咲きの桜花に飾られて船出する彼女たちはピカピカの一年生らしく、はにかみを含んだ笑みを浮かべている。 その小さな胸の内には、期待と不安の交錯した切ない思いが詰まっていたのだろう。

  おかげさまで、うちの子も小学生になりましたと、母親は挨拶状を付けて同じ写真をほうぼうへ配った。 親戚の家でアルバムを見せてもらうと、その隅に娘たちの面影が見つかる。
  わが家のアルバムにも親戚や知人の子供たちの写真が貼ってある。 七五三や入学式のときに送られてきたのを、そのつど大事に保存することにしている。二十年以上も前のものになると、いまでは結婚して子供の産まれた甥や姪がいる。彼らも自分たちの子供の写真を送ってくれる。 ――こうして子供の写真は、かぎりなく増えていく。
  頂いた写真を大事にしているのは、 単に思い出のためばかりではない。私自身に貴重な体験があるからだ。
  私の育った岩手県の一関市は、 昭和二十二、二十三年の二度にわたって大水害に遭っている。 このため、それ以前に撮った家族の写真は全滅した。
  ところが、その後、失われた写真が各地から届けられた。 親戚や知人に送っておいたものだった。なかには姉たちや私の幼いころの写真もあった。
  いつなんどき災害に遭うか分からないのは、 ここ数年の実例を見ても分かることだ。少しぐらい押しつけがましく思えたとしても、大事な写真はたくさん焼増しして、ほうぼうへ送っておいたほうがいい。また、送ってきた写真はかならず保存しておくことだ。
  入学式の写真は、子供たちには貴重なものだから、ことにも大事にしておきたい。いずれ大人になれば、春の日の晴れやかな船出に思いを馳せることが、きっとあるはずだ。


「小さな手袋」(内海隆一郎:中2「三省堂」)の導入部を読む

熊添由紀子(八女・見崎中学校)

1.物語指導のおもしろさ

 私は物語指導のおもしろさは次の三つにあると考えている。一つは、「構造よみ」で「発端」や「クライマックス」を決定することを通して作品の主題を含めて物語全体を俯瞰すること。二つめは、「形象よみ」でクライマックスに向かってしかけられている形象を読むこと。最後は「吟味よみ」で主体的な読み手として作品と向き合うことである。ここでは、二つめの「形象よみ」(導入部)について考えてみたい。
阿部昇氏は導入部について「〈導入部〉では、これから展開されていく事件のための枠組み・設定が中心となっていることが多い。そしてその枠組み・設定には、おもに『時』の設定・『場』の設定・『人物』の設定・それ以前にあった出来事を述べた『事件設定』などがある。さらに『話者設定』が読者に明示される。」と述べ、また、「導入部に書かれている『時・場・人物・事件設定』などの設定は、これから展開される事件の展開に向けての『仕掛け』としての意味をもっている場合が多い。そういう導入部の『仕掛け』性を形象よみで明らかにしていくことが必要である。」と述べている。(「力をつける「読み」の授業」:学事出版)
 
2.「小さな手袋」(内海隆一郎:中2「三省堂」)の導入部
 小学校3年生だったシホは雑木林の中で年老いたおばあさんと出会い交流を深める。おばあさんは雑木林に隣接する病院に入院している患者であった。しかし1ヶ月後、シホは祖父の死をきっかけにおばあさんとの交流を一方的に断ってしまう。それから二年半後、その病院で偶然おばあさんのことを思い出したシホは、おばあさんが不自由な手で編んだ手袋を渡すために必死でシホを探そうとしていたことを知る。おばあさんが今ではひどい認知症のために周りの人のことがわからなくなってしまっていることを知ったシホは、病院の帰りに父親である「わたし」に雑木林へ寄っていきたいと頼む。
物語は父親である「わたし」が語り手となって語られていく。
 導入部の形象読みでは「時」「場」「人物」「事件設定」を読むのだが、ここでは特に「場」と「人物」(話者)の設定について触れたい。
 
3.「場」の設定について
 この物語は「雑木林」が重要な場の設定となっている。導入部全体が「雑木林」の紹介のみで占められている。
 この雑木林でシホはおばあさんと出会い、交流を深め雑木林へ日参するようになる。祖父の危篤の知らせを待つ間も、シホは遠慮がちに雑木林へ出かける。突然来なくなったシホを待って、いつまでもおばあさんが通い続けたのも雑木林である。そして2年半後、おばあさんとの別れが決定的になったことを知ったシホは、父親に雑木林に寄っていきたいと頼むのである。
雑木林は二人の出会いや交流やすれ違いのすべてを見ていた。真っ直ぐにシホを思うおばあさんの愛情。それゆえ突然シホが来なくなってからのおばあさんのとまどいや不安。シホと会う前よりも深まってしまった孤独な思い。そして自分がしてしまったことへの後悔に悲しむシホの思い、等。すべてを見届けていたのがこの雑木林である。シホの成長を見守る語り手である「わたし」に次ぐ第三の視点といえる。
 授業では、特に次の3カ所に線引きをして形象読みをする。

(1)「わたしの家から歩いて十五分ほどの所に、武蔵野のおもかげを残した雑木林がある。」
 「十五分ほど」を読む。「一時間」でもなく「三分」でもなく「十五分」であることの意味を考える。そろそろ遊びの世界を広げ始める小学校3年生のシホにとって、無理なく通える距離と考えられる。雑木林に日参することができるための「場」の設定である。また、宮下さん(おばあさん)に頼まれてシホを探したという修道女の言葉「探した範囲からはだいぶ離れているようねえ。」にも合う。病院は雑木林に隣接しているのだがシホの家のある方向とは反対側にあり、修道女が探した範囲の想定外だったと考えられるからである。距離の仕掛けが読める。

(2)「小学校のグラウンドを三つ合わせたぐらいの面積に」
 語り手である「わたし」がシホの目線に立ってその広さを測っているような表現である。小学生3年生にとってちょっとした広さではあるが決して迷ってはしまわない広さが設定されている。おばあさんが妖精ではないことを確かめにシホが「一人で林へ出かけた」ときも、「雑木林へ日参するようになっていた」ときも、父親である「わたし」はシホを黙って見守り続ける。そうできる前提としての広さの仕掛けがここに見られる。

(3)「木々の間を縫って、子どもが二人並んで歩けるほどの小道が林の奥へつながっている。」
 「子どもが二人並んで歩けるほどの小道」を読む。人が繁く通ってくる場所ではないが、道に雑草が生えないくらいには人がやってきている雑木林と読める。シホがおばあさんと出会ったきっかけは、「近所の友達が飼い犬の運動につきあって」林へ行ったことである。そこで放した犬が戻ってこないので林の中を探し回ったときにおばあさんと出会う。二人が一緒にいるところを見かけた人はほとんどないことが予想され、また「やっぱりいたのね。ほんとだったのね。」という修道女の言葉からも分かるように、だれも知らない「ふたりだけの世界」を創り出していたことが読めるような場の設定となっている。

4.「人物」(話者)の設定と導入部の意味について

 導入部には人物は登場しない。冒頭の文のはじめに「わたし」が出てくるだけである。シホの父親である「わたし」が話し手となってシホの思い出を語るという設定である。例えば、シホが一人称でこのできごとを語ったとしたらどうだろうか。シホが祖父の死後おばあさんに会いにいかなくなったのはなぜなのか。2年半後病院で突然おばあさんのことを尋ねる気持ちになったのはなぜか。手袋を顔に強く押しつけておえつをもらすシホの気持ちは。そして雑木林へ寄っていきたいと言ったのはなぜなのか。シホがこの出来事を冷静に語ることができるためには時間が必要であろうが、小学生であるシホ自身には自分の気持ちを自覚し語ることはできないであろう。そのあいまいさを表現するために父親である「わたし」が語るという設定がされているのではないか。そのことがこの作品を奥行きのあるものにしていると考えられる。   
 シホのすべてが「わたし」の目を通して語られていく。読み手は、いつも「わたし」の向こう側にシホを見る。娘の心に立ち入るようなことをせずあたかかく見守る父親である「わたし」には(どんな親でもそうであろうが)シホの思いを明確に説明することはできない。そのあいまいさこそがこの話者設定とあいまってこの作品の魅力となっていると考える。
展開部に入って「わたし」は六年前の次女にまつわる思い出を語り始める。時間的には導入部は終結部から3年半後という設定である。終結部までの形象読みを終えて改めて導入部を読むと、そこに現在のシホの存在が見えてくる。導入部には雑木林の説明が書かれているだけなのだが、現在中学3年の春を迎えているシホの姿が浮かび上がってくる。そのシホの心の中まで見えてくるようである。おばあさんとの出来事がシホの心に残したもの・・・その時は自分も精一杯でそうするしかなかったとはいえ、結果的にかけがえのない愛情を注いでくれた人をひどく傷つけてしまったこと、後悔しても取り返しの付かないことがあるものだという人生の真実を胸にしまっているシホである。
「場」の設定である雑木林の意味が、人生の真実を知って成長するシホとオーバーラップされて読み取れる見事な構成と仕掛けをもった作品だといえる。

内海隆一郎━人びとの忘れもの━

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開成への国語  そこは不思議な部屋だった  阿部夏丸 ━見えない敵━ 1

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阿部夏丸━見えない敵━

本

 大好きなカツミが、自分以外の者と親しくすることに嫉妬を感じ、その気持ちをコントロールできないでいるケンジのようすを描く。

 そこは不思議な部屋だった。十畳ほどの部屋は板張りで、南側は全面出窓になっていた。ガラス窓の手前は棚となり、植木鉢や水槽、そして、試験管やビーカーなどが並べてある。また、その一角は大きめの流し台になっており、水道の蛇口もあった。
 ケンジは、めずらしそうにそれらに目をやると、今度は北側の壁を見た。壁はすべて棚になっていた。棚には百科事典をはじめ、いろいろな図鑑が並んでいる。また、本だけでなく、昆虫の標本、石の標本、ガラス瓶に詰まった貝殻など、めずらしいものが一杯だった。そして、さらに驚いたことに、ここには机が二つあった。普通の勉強机は、部屋の奥にごく普通においてあるのだが、部屋の真ん中に作業台のような大きな机が、もう一つ置いてあるのだ。
 不思議な部屋だなぁ、とケンジは思った。
「なんだか、理科室みたいだね」
「そうかなぁ、いつもいるからわからないよ。引っ越してくる前も、ずっとこんな部屋だったし」
「引っ越す前も?」
「うん。お父さんの趣味だよ。自分が実験ばかりしてるから、部屋に流し台と作業台がないと、落ち着かないらしいんだ。まあ、僕も気に入ってるけどね」
「ふーん。カツミくんが、理科室を好きな理由がわかったような気がするよ」
 ケンジは、腕を組んでそういった。そして、カツミの不思議な魅力は、こんな生活から自然に生まれたものなのだろうと思った。やがて、ケンジは、棚に置いてある標本箱に目をやった。

問 「カツミの不思議な魅力は、こんな生活から自然に生まれたものなのだろう」には、ケンジのカツミに対するどのような気持ちが読み取れますか。

e:゛川おやじ゛の阿部夏丸ですか?

F:豊田市矢作川で育った

e:『峰雲へ』・『カワウソがいる』

F:『泣けない魚たち』が坪田・椋のそれぞれ文学賞を受賞してますね。

e:魚オヤジ?!

F:『オグリの子』がNHKでドラマ化

e:『父のようになりたくない』・『うそつき大ちゃん』

F:昔の少年の心情を描き続ける

e:”アベナツワールド”昔と言っても、大昔?

F:゛団塊の世代゛でしょうね。

e:アベナツはその後の世代ですよね。大昔の少年は゛こうだった゛と?!

F:゛在り方゛ですか?

e:単にノスタルジーというよりも

F:大昔の少年への回帰?

阿部 夏丸(あべ なつまる、1960年 - )は愛知県豊田市出身の作家

名古屋芸術大学を卒業後、幼稚園絵画講師、書店店長などを経験。「泣けない魚たち」で第11回坪田譲治文学賞・第6回椋鳩十児童文学賞をダブル受賞、「オタマジャクシのうんどうかい」で第14回「ひろすけ童話賞を受賞した。第2作「オグリの子」は、NHKでドラマ化された。川と子供を描く作家として注目を浴び、確かな自然観が支持されている。中高の入試で採用されることが多い。

小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」にて、阿部夏丸責任編集「月刊雑魚釣りニュース」を担当。自宅にて絵画教室「オープンハウス」を主宰する。俳句結社松籟の同人でもある。 執筆活動のかたわら「川遊びのワークショップ」や「講演会」も多数行う。大人から子供まで楽しめる川と生き物の話は氏の人柄によるところが大きい。

生まれ育った矢作川を愛し矢作川水族館の館長を務める。ー阿部夏丸 - Wikipediaより引用

表紙:見えない敵

阿部夏丸━見えない敵━

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