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中学受験・家庭教師 SAPIX・希学園・浜学園対応 | Welcome to expert FORUM | 伊藤整━少年━![本]()
「おれね、西川が来たから手紙を渡したんだよ。そしてこっちの方へ歩いて来たんだ。角のところで見たら、西川は、手紙を小さくさいて川の上へ投げていたよ」
私はそう言って、房太郎の顔をちらっと見た。自分の眼が熱く燃えているうような気がした。すると、房太郎の顔は急にいっそう青ざめて、ほっそりとなったように見えた。
「ふーん」と彼は鼻であしらうような返事をしたが、今度はうつむいて考える様子になった。
彼は中学の入学試験の算術の種本だと言っていたねずみ色の表紙の本をぐるぐる巻くようにした。それはやわらかい表紙であったが、本がかなり厚いものであったので、思うように巻くことができず、ページがばらばらとはじけた。それでも彼は考えこみながら、それを巻こうとするのであった。来年彼が中学に入れれば、その本を、その次の年に受験する私に貸してくれると彼は言っていた。中学の先生の種本だということで、私はその本を借りるためには、どんなことでも彼の言うとおりになっていようと覚悟していた。それが分かっているせいか、彼は何かというと私の目の前でその本を見せびらかすのだ。でもいま彼の頭はそれどころでなく、混乱してしまっていることが分かった。京子が手紙のことを先生や両親にいいつけはしないかと彼は心配になってきたのだ。房太郎の混乱が私にすぐ感染した。私も彼と同罪だという考えが、ちらと心にうかんだ。だが、渡さなかったんだ。手紙は渡さなかったんだ。私が房太郎のように手紙の露見するのを心配するのはいらないことであった。それでも、彼といっしょになって、あの手紙のことで、先生や親たちに叱られそうな怖れを感じなければならないような気持ちが去らなかった。
「いいや、あんなやつ。ちょっとからかってやっただけなんだからな」と房太郎は不安をおさえるように言った。
「うん」と言って、私も彼と同じように、西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけていた。その晩房太郎はだまりがちであったし、私は彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念
に思うふうにもの静かにしていた。
この日からあと、私は奇妙な二つのちがった心の動きを本当らしく進めて行かねばならないという作為の世界に入って行った。
問 「二つのちがった心の動き」とありますが、それはどのような気持ちですか。次の中から適当なものを選んで、記号で答えなさい。〔麻布中学〕
ア・房太郎は「私」が手紙を破いたことなど全然気づいていないのだと安心する気持ちと、今後は房太郎に対して、表面では協力しているふりをしなければならないという気持ち。
イ・手紙を破いてしまったことはしかたがなかったんだと思う気持ちと、手紙を渡したつもりになって、房太郎に対して、残念に思っているようにふるまい続けようという気持ち。
ウ・京子への手紙を破いたことを、房太郎にずっとかくしておこうという気持ちと、それでもいつかは手紙を破いてしまったことを告白しなければならなくなるだろうと思う気持ち。
エ・手紙を破いてしまったのは自分自身のためではなかったかとうしろめたく思う気持ちと、房太郎が京子に手紙を渡そうとしたことは悪いことなのだと思いこもうとする気持ち。
オ・「私」が好意を持っている京子が、今回のことを知ったらどう思うかと不安になる気持ちと、その不安をむりにかくして、今までどおり房太郎とつきあっていこうという気持ち。
問 「二つのちがった心の動き」とは何と何ですか。次の中から二つ選び、記号で答えなさい。〔筑波大附属駒場中学〕
ア 「自分の眼が熱く燃えているような気がし」続けること。
イ 「私も彼と同罪だという考えが、ちらと心にうかん」で消えないこと。
ウ 「先生や親たちに叱られそうな怖れを感じなければならないような気持ちが去らな」いこと。
エ 「西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけてい」ること。
オ 「彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念
に思うふうにもの静かにしてい」ること。
問 「二つのちがった心の動き」とありますが、それはどのような気持ちですか。説明しなさい。〔麻布中学改題〕
問 「奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますが、「二つのちがった心」の内容を答えなさい。〔筑駒中学改題〕
問 「奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますが、「二つのちがった心」の内容を、文中のことばを用いて答えなさい。〔市川中学〕
F:『筑駒』は問八「二つのちがった心の動き」とは何と何ですか。
e:『選択肢問題』を『記述』に改題ですか?
F:いつものパターンです。
e:で、どんな答えがでてきました。?
F:「彼のために京子との交渉をうまく取りはかれなかったのを残念に思う風にも
の静かにしていること。」というのは、ほとんどのお子さんは書きますね。
e:これは『筑駒』の選択肢のオでしょう。もう一つは?
F:これも「西川京子に手紙を渡してしまった感じを自分の内側に持ちつづけてい
ること。」と書くお子さんが多いですね。
e:これは『筑駒』の選択肢のエでしょう。なんだ、二つとも文中からの書き抜き
じゃないですか?!
F:『筑駒』でも、この問いが『記述問題』であっても
e:ぬき出せばいいと?
F:いうことでしょうか?
e:『筑駒』は抜き出しちゃダメなんてよくいいますけど。で、『麻布』は?
F:(九)「二つのちがった心の動きを」とありますが、それはどのような気持ち
ですか。次の中から適当なものを選んで、記号で答えなさい。
e:「次の中から適当なものを選んで、」ということは答えは゛二つ゛ある?
F:゛最も゛適当なものとか
e:゛一つ゛選んで、とかがないですからね。
F:参考に『解答用紙』を見ると
e:二つ書く゛大きさ゛じゃない?
F:『麻布』はそんな
e:゛陰険゛なことはしない!
F:解答らんを少しおおきめにして、とか
e:全く同じ大きさのもありますよ。
F:゛最も゛とつけないところが
e:奥ゆかしい?もしかしたら、゛最も適当な゛選択肢゛じゃないかも?
F:本当のところは伊藤整にきいてみなければ、わからないでしょう。
e:で、これも『選択肢問題』を『記述』に改題ですか?
F:そうですね。ところが、面白い現象が。
e:なんですか?
F:第一志望が『麻布』のお子さんと
e:第一志望が『筑駒』のお子さんと
F:答えが゛微妙゛に違うんです。本文の量とも関係してくるんですが。
e:『筑駒』の、あの短い本文の範囲での理解と
F:『麻布』の長編の本文の範囲での理解とでは
e:それは仕方ない、と。
F:さて、『自由記述』に改題して
e:その結果、どんな゛答え゛が?
F:『筑駒』の
e:例の゛二つ゛の答え以外に
F:そうですね。
e:直前の゛二つ゛を書けばいいや、と思うお子さんと
F:ちょっと待てよ?
e:『麻布』はそんな簡単な問題は出さないぞ、と。
F:他に゛考えられる気持ち゛がないか、と。
e:そうすると、
F:いろいろ出てくるんですね。
e:その一つが、『麻布』の『選択肢問題』のイの
F:前半部分ですね。
e:それ以外に?
F:゛検討の余地あり゛の゛答え゛でした。
e:ここまでくると楽しみでしょうね。ところで、改題しないで『選択肢問題』と
して考えたらどうなりますか?考えたくもないでしょうが。
F:イの手紙を破いてしまったことはしかたなかったんだと思う気持ちと、手紙を
渡したつもりになって、房太郎に対して、残念に思っているようにふるまいつ
づけようという気持ち。
e:あれ?前半の気持ちが少し違いますね。
F:「私は奇妙な、二つのちがった心の動き」とありますね。
e:それで、
F:゛この゛「二つのちがった心の動き」とは書いていないですね。
e:゛この゛があれば直前を指し
F:『筑駒』の答えになるかも?ですね。
e:「この日のあとから、
F:~作為の世界に入って行った。」とあります。
e:「本当らしくすすめて行かねばならない」
F:「手紙を渡したつもりになって、」でしょう。
e:「房太郎に対して、」
F:「残念に思っているようにふるまいつづけようという気持ち。」
e:が、一つですか?え、ということは『筑駒』のエ・オは一つの心?
F:こればかりは、
e:伊藤整に聞かなければ本当のところは解らない?
F:聞いてもね。
e:無口・無表情
F:無愛想・無愛嬌だったらしいですから。
e:聞いても答えてくれない?
F:とは一概に言えないでしょう!一年に一度の正月に聞けば。
e:「俺はバカだ。俺はバカだ。」と
F:死ぬ前の日に心情を吐露したんでしょう。
e:「みんな馬鹿で生きてるんでしょ」と奥さんが答えた?
F:それはさておき、親御さんも、お子さんの゛受験゛があったからこそ、知り得
た!
e:あるいは、新しい発見があった!
F:受験という機会がなければ
e:こういう物語の世界に触れずにいた?
F:お子さんと共に”物語を共有する機会”ってなかなかないですね
e:10歳前後というのは時期的にもGOOD!!TIMING!!
F:でしょう。
e:感性を磨く、にはね。
F:親御さんも在りし日の自分と重ね合わせる時間を持てたことも貴重です。
e:中学受験の意義を
F:そこに見出だすのですね。
e:ですからこそ、良質の問題を出す学校に
F:気持ちは傾注していくんでしょうね。
甘やかされて育ち学校でできの悪い上級生で、来年の中学校の入学試験に落ちるにきまっていても、何となくずるくってするどいところのある房太郎をそそのかしては、店の売り上げでようかんの買い食いのお相伴をしたり、田崎先生に男から来る手紙の話を聞いたりすることは、私にとってぼんやりと楽しいことであった。しかし今度のことはそれとはちがっていた。もっとはらはらする、危なっかしいことで、おそろしいが、何となく新しい張り合いもその中にあった。
問 「新しい張り合い」とありますが、どういうことですか。これまでの房太郎との関係を考えながら、次の語句を必ずもちいて、100字以上百二十字以内で説明しなさい。(句読点や記号も一字とします。)
【 秘密・もうひとりの自分・新しい関係 】
伊藤整(いとうせい)
詩人、小説家、評論家。本名整(ひとし)。明治38年1月17日北海道松前郡炭焼沢村(現松前町白神)に生まれる。小樽(おたる)高等商業学校(現小樽商科大学)時代から詩を書き始め百田宗治(ももたそうじ)主宰の『椎(しい)の木』同人となり、詩集『雪明りの路(みち)』(1926)を出版。1928年(昭和3)、小樽市中学校教諭を辞めて上京、東京商科大学(現一橋大学)に入学。詩から小説、批評に転じ、フロイトやジェームズ・ジョイスの影響を受けた新心理主義」の代表的理論家兼実作者として文壇に登場し、評論集『新心理主義文学』(1932)、小説集『生物祭』(1932)を出した。その後、20世紀文学の方法を利用して詩や私小説の芸術的エッセンスを作品化することを試みた。『街と村』(1937~38)、『得能(とくのう)五郎の生活と意見』(1940~41)などの小説を経て、第二次世界大戦後、詩、小説、評論戯曲などのさまざまな形式を組み合わせた現代知識人文学の代表作『鳴海(なるみ)仙吉』(1946~48)を発表すると同時に、日本近代小説の私小説的性格を西欧と対比しながら明らかにした評論集『小説の方法』(1948)を出して注目された。50年(昭和25)に翻訳・出版したD・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻(わいせつ)文書の疑いで起訴され、いわゆるチャタレイ事件が起こった。結果は有罪に終わったが、この裁判闘争の体験を生かして戯文エッセイ『伊藤整氏の生活と意見』(1951~52)、『女性に関する十二章』(1953)、長編『<火の鳥』(1949~53)などを書き、ベストセラー作家になった。その後の長編に自伝小説『若い詩人の肖像』(1954~56)、人間のエゴイズムと俗物性を追求した『氾濫(はんらん)』(1956~58)や『発掘』(1962~64)、老年の性を描いた『変容』(1967~68)、父の生涯を記録した『年々(ねんねん)の花』(1962~63)などがあり、ほかに大著『日本文壇史』(1952~69)、『太平洋戦争日記』(1983)がある。68年、芸術院会員。昭和44年11月15日、胃癌(いがん)のため死去。
伊藤整 - Yahoo!百科事典より引用
伊藤整
昭和44年2月ごろから、自動車に乗ると吐いたり、便秘や血便の症状があったが、彼はその重大性に気がつかなかった。
しかし4月28日ついに倒れて床についてから、その憔悴(しょうすい)ぶりが甚だしいので、妻が、いやがる彼を説得して神田の同和病院に入院させ、診断の結果、5月11日、開腹手術を受けた。手術後、医者は「非常に残念なことを申しあげます」といい、多分胃に発生したガンがいまや肝臓、直腸をはじめ腹腔一杯にひろがっていて、もう手のほどこしようもないことを家族に告げた。
家族はこのことを整に秘した。
「手術後、1週間くらい父は苦しんだ。ベッドから転げ落ちるほどの苦痛に耐えた」
と、次男の礼は書く。
「父の苦しみが極まり、強く折檻された犬が最後に悲鳴もあげえなくなったときのように、父がただ顔を歪(ゆが)めるだけになったとき、今まで若々しいと思っていた父が、一瞬にして老境におちこみ、苦しみをこらえる力も意地も失くし、ただ芋虫のようにベッドでのたうちまわっているように見えてきた。(中略)
そのうちに私は、そうやって苦しんでいながら、父がじつはものすごく歯等をたてているのだということに気がついた。鼻孔に酸素吸入のゴム管を押しこまれ、そのゴム管を頬に絆創膏(ばんそうこう)で貼りつけられ、唇をからからに干(ひ)からびさせ、腸のなかにもビニール管をさしこまれ、その先端からは四六時中じとじとと便がながれ出す。そのようなありさまでまさに芋虫のように身動きもできずに横たわった人が、ものすごく腹をたてているのだ。それは書斎から無理やりに引き離してしまった病に対する怒りだった」
・
7月にはときどき帰宅を許され、8月には退院した。しかし9月にはいると、また吐気と食欲減退に悩まされるようになった。
10月18日、彼は、明後日がん研附属病院に入院する決心がついたことを家族に伝え、
「おれは今度の病気では死なない。死なないが、がんかも知れない。そうだったらしかたないが、おれはがんではないと信じている」
と、いった。しかし、その夜彼は日記に書いた。
「貞子(妻)たち、決してがんでないというが、私は最悪を考えて、涙流れる。『年々の花』ひとつでもまとめたし。『発掘』『三人のキリスト者』それぞれ1週間必要、文壇史の三章(明治45年)書き足し、全篇の訂正は大事業にて、私がいま死んだら……」
それは未完の長編や、なかんずく18年書きつづけて来た日本文壇史』への妄執であった。
人は死に臨んで、多くはおのれの「事業」を一片でもあとに残そうとあがく。それがあとに残るという保証はまったくないのに。――これを業(ごう)という。
10月20日、整はがん研病院に入院した。
11月13日まで、彼はトイレに一人でいった。病み衰えた顔に眼を大きく見ひらき、宙をにらみすえるようにして歩いた。
しかし、その夕方から高熱と悪寒を発し、医者はひそかに臨終の近いことを告げた。14日、妻はあちこちに電話をかけ、見舞客が続々と駈けつけたが、整はだれにも会いたくないといった。
・
苦しみと眠りは10分おきになり、15日の朝が来た。整はふいに眼をあけて、「いやな夢を見た」といった。死に瀕しても、人間の脳はなお悪夢を夢みる!
「昼ごろのどに痰のからむような様子を見せはじめたので、私たちが綿棒や吸引器で取ってやろうとすると、上手に取れるように父が協力してくれるのが分かった。3時40分、父は昏睡におちた。そして、呼吸が止んだのは4時50分だった」と、礼は記す。ー じじぃの「人の死にざま_658_伊藤・整」 - 老兵は黙って去りゆくのみーより引用
伊藤整━少年━expert FORUM (エキスパート フォーラム)
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